シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
パロディーは変幻自在ー『嵐』2幕2場

 

シェイクスピア劇がポスト・モダンと呼ばれる大衆文化のなかで拡散し、変容し続けています。

 

『ロミオとジュリエット』をインターネットで検索すれば分かるように、この作品がミュージカル、映画、オペラ、漫画、アニメ等々に戯画化、漫画化されて、パロディーとして変幻自在に暴れ回っている。

 

知的権威の崩壊などとは言わないが、社会風俗に組み込まれたジェンダー制度や中二病と言われる情緒不安がシェイクスピアをネタに作品が好き勝手に翻案され、文化記号として強力な磁場のはたらく市場用に標準化されてきている。

 

モダーンイングリッシュの集積されたシェイクスピアの原文テクストの持つ機能、画一化されることのない個別性が忘れられていいのか。

 

原文にはアクセスできないが文化記号には手を出せる、この手の安手の商品化は文化一般の機能を狂わせることにならないか。

 

閉じられた社会で記号と化した文化アイコンは、偏狭なナショナリズム、政治的全体主義に利用されることがあることは、歴史を振り返れば分かることです。

 

こんな調子でことばが簡素化され、人間の思考停止が起こり、政治も、経済も、教育も、すべて平準化され、劣化して行くのだろう。

 

心すべきは、遠い過去からの蓄積を学び直し、旧来の枠に納まらない新たな人づくり、国づくりのワクワク感のある新鮮奇抜なストーリーを発信し、持続的に循環させることではないのか。

 

シェイクスピアを学び損なったらわが国の英語教育は瓦解する、ばかりではない。

 

言語活動の衰退は亡国を招く、ネット社会では本を読む習慣がなくなる、考えなくなる、自分の言葉で話さなくなる、右に倣えのご挨拶の画一化、国のたそがれどきが近づいているのではないか。

 

知的文化の基盤そのものの揺らぎに対しては断乎対処しなければなりません。

 

選ばれた自意識肥大の指導者たちは、近隣諸国との軋轢を空疎な美辞麗句で糊塗、あるいは強がってみせる、途方もない財政赤字など知らぬ存ぜぬ、人口減少下での社会保障強化は棚上げ、同時多発的に広がる統計不正はデータそのものの収集プロセスの偽装のなにものでもない、歯止めのかからない児童虐待へのお寒い対応、これら国家存亡にかかわる問題に空疎な言葉で説得を試みる毎回お馴染みのパロディー政治劇、質の悪い変幻自在の漫画にしか見えない。

 

政治家は一滴の酒で国民を酔わせようとするが、一滴の目的が問題の所在ぼかしと相変わらずの論点のすり替えなら、神様にはなれない。

 

こちらの漫画はどうか。

 

 

キャリバン 虐めないで。ああ。

ステファノー 何だ?

 悪魔でもいるのか?

 からかおうってのか野蛮人を使って、

 インド人か?え?俺が溺れずに助かったのは、おめえのような

 4本足を怖がるためじゃねえ。俺は言われてきたんだ。

 4本足の人間に匹敵するってよ、負けるわけ

 ねえだろ。今だってそうよ、このステファノー様が

 鼻で息をしているかぎりはな。

キャリバン 妖精の奴が虐めるう。ああ。

ステファノー 島の化け物か、4本足の。

 こいつは(何だな)マラリアにやられたんだ。一体どこで

 俺たちの言葉を覚えたんだ?助けてやるか

 喋っているから。こいつを治して、

 飼い慣らして、ナポリに連れて帰りゃ、献上品になる

 立派な革靴を履くどんな王様にだってよ。

キャリバン 虐めないでよ。これからは

 もっと早く薪を運ぶから。

ステファファノー 発作を起こしてやがる。喋れねえからな

 まともには。一杯飲ませてやるか。酒の味を知らねえ

 なら、発作もいちころよ。

 こいつを治して、飼い慣らせば、いくら高く売ったって

 高すぎるってこたあねえ。飼いたいやつに金を出させてやる、

 しこたまによ。

キャリバン おまえまだ手を出さないな。これから出すんだろ、

 分かるんだブルブル震えてっから。プロスペローが乗り移ってん

 だろう。

ステファノー いいから。口を開けな。さあ

 猫も喋り出すってお神酒だ。さあ

 口を開けな。これを飲みゃ震えなんざ吹っ飛ぶ、いや、

 ほんと。友は遠方より来るってな。開けな

 顎をもう一度。

トリンキュロー あの声は聞き覚えがある。

 確か、

 でもあいつは溺れ死んだ。こいつら悪魔か。ああ

 神様お助けを。

ステファノー 足が4本に口が二つか。できすぎだぜ

 化け物にしちゃ。前の口はよく言うよな

 友だちのことを。後ろの口は、口汚くののしる、

 友だちのことを。俺の酒をたっぷり飲ませて治せる

 もんなら、治してやりてえよね。さあ。そうだ、

 後ろの口にも飲ませてやろう。

トリンキュロー ステファノー。

ステファノー 後ろの口が俺の名前を?おい、おい。

 こいつは悪魔か、化け物じゃなくて。逃げるかな、

 悪魔のお相手はごめんだ。

トリンキュロー ステファノーステファノーなら、触ってくれ、

 物を言ってくれ。俺はトリンキュローだ。怖がるな、お前の

 親友のトリンキュローだ。

ステファノー トリンキュローなら。出てこい。引っ張ってやる

 小さいほうの足を。どっちかがトリンキュローの足なら、

 こっちだろう。確かにトリンキュローだ。どうして

 こんな化け物の糞なんかになったんだ?

 こいつは尻からトリンキュローをひり出せるのか?

トリンキュロー こいつ雷にやられたんじゃねえか。けど

 溺れ死んだんじゃねえんだなステファノーは。どうやら

 溺れ死んだんじゃねえようだ。嵐は静まったのか?潜り込んだのよ

 このおっ死んだ化け物の上っ張りに、怖くってよ

 嵐が。お前生きてんだよなステファノー?ああステファノー、

 これでナポリ人が二人助かったってわけか?

ステファノー おいおいぐるぐる回すな、胃袋が

 目を回す。

キャリバン こいつらたいへんな代物だ、妖精じゃないとなると。

 あっちは素敵な神様、天国のお神酒を持っている。

 あっちに跪こう。

 

                 2幕2場

 

 

Cal. Doe not torment me: oh.

Ste. What's the matter?

 Haue we diuels here?

 Doe you put trickes vpon's with Saluages, and Men of

 Inde? ha? I haue not scap'd drowning, to be afeard

 now of your foure legges: for it hath bin said; as pro-

 per a man as euer went on foure legs, cannot make him

 giue ground: and it shall be said so againe, while Ste-

 phano breathes at' nostrils.

Cal. The Spirit torments me: oh.

Ste. This is some Monster of the Isle, with foure legs;

 who hath got (as I take it) an Ague: where the diuell

 should he learne our language? I will giue him some re-

 iefe if it be but for that: if I can recouer him, and keepe

 him tame, and get to Naples with him, he's a Pre-

 sent for any Emperour that euer trod on Neates-leather.

Cal. Doe not torment me 'prethee: I'le bring my

 wood home faster.

Ste. He's in his fit now; and doe's not talke after the

 wisest; hee shall taste of my Bottle: if hee haue neuer

 drunke wine afore, it will goe neere to remoue his Fit:

 if I can recouer him, and keepe him tame, I will not take

 too much for him; hee shall pay for him that hath him,

 and that soundly.

Cal. Thou do'st me yet but little hurt; thou wilt a-

 non, I know it by thy trembling: Now Prosper workes

 vpon thee.

Ste. Come on your wayes: open your mouth: here

 is that which will giue language to you Cat; open your

 mouth; this will shake your shaking, I can tell you, and

 that soundly: you cannot tell who's your friend; open

 your chaps againe.

Tri. I should know that voyce:

 It should be,

 But hee is dround; and these are diuels; O de-

 fend me.

Ste. Foure legges and two voyces; a most delicate

 Monster: his forward voyce now is to speake well of

 his friend; his backward voice, is to vtter foule speeches,

 and to detract: if all the wine in my bottle will recouer

 him, I will helpe his Ague: Come: Amen, I will

 poure some in thy other mouth.

Tri. Stephano.

Ste. Doth thy other mouth call me? Mercy, mercy:

 This is a diuell, and no Monster: I will leaue him, I

 haue no long Spoone.

Tri. Stephano: if thou beest Stephano, touch me, and

 speake to me: for I am Trinculo; be not afeard, thy

 good friend Trinculo.

Ste. If thou bee'st Trinculo: come foorth: I'le pull

 thee by the lesser legges: if any be Trinculo's legges,

 these are they: Thou art very Trinculo indeede: how

 cam'st thou to be the siege of this Moone-calfe? Can

 he vent Trinculo's?

Tri. I tooke him to be kil'd with a thunder-strok; but

 art thou not dround Stephano: I hope now thou art

 not dround: Is the Storme ouer-blowne? I hid mee

 vnder the dead Moone-Calfes Gaberdine, for feare of

 the Storme: And art thou liuing Stephano? O Stephano,

 two Neapolitanes scap'd?

Ste. 'Prethee doe not turne me about, my stomacke

 is not constant.

Cal. These be fine things, and if they be not sprights:

 that's a braue God, and beares Celestiall liquor: I will

 kneele to him.

 

  Ague = a fit of fever   after = in the manner of   siege = excrement

    vent = defecate    braue = excellent

 

 

このパロディーは少なくとも知的に笑えるんじゃないか。

 

自信ありげな現代のステファノ―は肝心の中身から離れて饒舌に話し、状況をさらに低く複雑にしている。

 

無思慮なためらいのない説得などに百薬の長の効き目などあろうはずもない。

 

ポリティックスは国および社会集団における秩序の形成とその解体をめぐってのせめぎ合いだから、創造と破壊の睨み合い、繰り返しとなる。

 

つくっては壊す新陳代謝がうまくいかなくなれば、活力は失なわれ、ブルブルの発作が起こる、停滞と滞留、要するに糞をひり出せない糞詰まり状態になり、悶死するしかない。

 

法、権力、政策、自治にかかわる諸現象は刻々と変化する、この変化を相手に強引に一撃処理しようとしても、現実の変化に対応できない。

 

脳の負担が増えて間違うのか、頭に近いところにある目や耳などが聴き間違い見間違いをするのか、見ていながら見えない、聴いていながら聴こえない状態、知力低下、五感は摩耗、本能も消滅する。

 

こうなると4本足の化け物になるしかない、前途にどんな取り返しのつかないことが待ち受けていても、見えない、聴こえない、五里霧中の闇の中、虎になって咆哮するしかない。

 

オリンピックだ、世界一だなどと未来がよく見えるようなことばかり言っていると、とんでもないことになる。

 

ふりの横行する状況のなかでことの本質を突くのは動物的察知能力だ、皮膚感覚によって、たとえば富が公平に人びとに及んでいるかどうかという判断は、あれこれの気配で察知できる。

 

脳に意識や自律神経の偏りや無理が加わると、その人の表情は硬く、きつく、不健康そのものに変貌する、見れば分かる。

 

身体は頭で考えることに合わせようとしてシグナルを送りつけてくる、目や耳や皮膚が機能不全に陥った物言いをすると是正しようとする、この身体からのシグナルを取り違えてはならない。

 

シェイクスピアを読んで創造と破壊がポリティックス活動では一体のものであることを感じ取ろう、脳を虐める弁論術や説得術は後回しにして。

 

笑えない下手なパロディー劇はもうおしまい。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

http://shaks.jugem.jp/

 

 

| - | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
遠い記憶ー『ヴィーナスとアドーニス』34〜36連

 

三横綱途中休場の大相撲も終わり、通常国会が始まりました。

 

聴こえてくるのは男の強がりと弱音。

 

日本国憲法は自由(freedom; liberty)と平等(equality )を保障する、その為に権力を抑制するが、のさばる多数決民主主義は頑迷そのもの、自由権や社会的平等権を踏みにじり、国会という自由に平等にオープンに審議すべき場を封じてきた、法治はことごとく人治に、もう随分長いこと、憲法無視で。

 

強気で押しまくった文書改ざんと記録なし記憶なしは厚労省の不正統計調査に引き継がれ、強がってみせた消費増税も選挙が気になり弱気になって軽減税率とプレミアム賞品券で誤魔化す、なんのこっちゃ、この手の無理強いを忖度して官僚も地方行政も右習い、いや司法までも。

 

日本社会は差別と排除、分断と格差拡大に俄然拍車がかかってきた、私たちはこの横暴をチェックすることができない。

 

お人好しの国民を御し易いと見たか、選ばれた者たちは貴族エリート気分で、何だってできる、とまあ、あの手この手を使って偽装、国民を騙しにかかってくる。

 

21世紀になっても変わらない日本人の、男の、強がり、脆弱性、精神のこわばり、前近代性が、こんな政治の劣化を招いている、グロースター伯爵同様に盲目のために、いや、うまく育たなかったために、未熟なために。

 

この身はかつて森だったのだ、里だった、川だった、泥と雑草の寄せ集めでできている自然そのものだった、私たちはそんな遠い記憶を忘れて、思い出そうとすらしない。

 

だから、土や雑草を汚いと軽蔑し、不要と見て、コンクリートで固め、海辺にうず高く防潮堤を築き、なけなしの海の風景を壊して美しい珊瑚の海を土砂で埋め尽くす、一事が万事この調子、この世に生まれ、どこに向かって歩いているのかが分からないために.

 

一歩また一歩と、山、里、川、海に環って行っているのに。

 

私たちは山、里、川、海のなかで生まれ、そのなかで生きてきた、多くの自然とひとつながりに繋がって生きてきた、そして草木国土悉皆成仏だった。

 

子どもの頃草木や水と戯れることはなかったのか、エリート教育を受けて、選ばれることと舞い上がることしか学ばなかったのか。

 

魂は、土に還る、里に還る、海に還る、川に還る、山に還る、天に昇ったりはしない。

 

往くべき道はふるさとしかないのに、ふるさとはもうない、土砂やコンクリートに埋め尽くされて。

 

いや、ある、遠い記憶のなかにある、ふるさとはこの世の向こう側にある。

 

自然を征服して貴重な生きものを絶滅させてきた私たちは、自然を環境などと言い間違えて、環境にやさしくなどと言っていじくりまわし、好き放題にいじくり回してしまった、それがいまの日本列島、そんな日本社会のトドの詰まりに登場してきたのがコンピュータ、いつの間にか人工知能の時代になっていて、抑揚のない金属音だけが聴こえてくる、自然からの泥臭い生の声はもう聴こえてこない。

 

君は、野性に還ることができるだろうか、潜在脳は確かか、深い意識を呼び覚まして、美と愛と豊穣の女神ヴィーナス(Aphrodite)をイメージできるか。

 

ヴィーナスが現実に存在するのか妄想の産物なのかは知らないが、遠い記憶を辿れば女神がふるさとにいることだけは確か。

 

そう、還るべき先にはヴィーナスがいる、海にいる、泡から生まれ貝の船に乗って、いや、山にいる、川にいる、里にいる、自然のなかにいる、いや、自然そのものとして、懐かしいものとしている、大地の母として。

 

大地を、懐かしいものを、愛してやまぬものを思い出そう、懐かしいものを思い出して血の通わない冷たい石像から甦ろう、ヴィーナスを愛することのできる大人の男として。

 

ヴィーナスとアドーニスのイメージを多面的に理解できれば面白い。

 

 

 頑固よね、火打石、鋼みたいに固いんじゃない?

 火打石だって、雨に打たれれば砕けるでしょうよ。

 女から生まれたのであれば感じないはずがない

 恋することがどんなものか、恋の苦しみがどんなものか?

  あなたのお母さんがそんな固い心の生まれなら、

  あなたを生むことなく、冷酷なまま死んだでしょう。

 

 どうしてこんなに軽蔑されなきゃいけないの?

 どうして怖がるの、私の求愛を?

 どうして口づけがあなたの唇に具合いが悪いの?

 きかせて、やさしい言葉を、でなきゃ黙っていて。

  私に口づけして、お返しするから、

  利子付けて、よかったら倍にして。

 

 何よ、血の通わない肖像、冷たくって、動かない石像、

 きれいに塗りたくられた偶像、生気のない像、死んでるのよ、

 人の目を楽しませるだけの彫像、

 姿は男のようだけど、女から生まれたんじゃない。

  男じゃない、男のように見えるけれど。

  男だったら口づけが好きなはずよ。

 

                 34〜36連

 

 

 Art thou obdurate, flintie, hard as steele?

 Nay more then flint, for stone at raine relenteth:

 Art thou a womans sonne and canst not feele

 What tis to loue, how want of loue tormenteth?

  O had thy mother borne so hard a minde,

  She had not brought forth thee, but died vnkind.

 

 What am I that thou shouldst contemne me this?

 Or what great danger, dwels vpon my sute?

 What were thy lips the worse for one poore kis?

 Speake faire, but speake faire words, or else be mute:

  Giue me one kisse, Ile giue it thee againe,

  And one for intrest, if thou wilt haue twaine.

 

 Fie, liuelesse picture, cold, and sencelesse stone,

 Well painted idoll, image dull, and dead,

 Statüe contenting but the eye alone,

 Thing like a man, but of no woman bred:

  Thou art no man, though of a mans complexion,

  For men will kisse euen by their owne.

   

   relenteth = weary away    want of loue = being denied love  

     contemne = scorn    complexion = appearance   direction = inclination

 

 

ヴィーナスが嘆いている、このアイロニーは面白いんじゃないか。

 

シェイクスピアは劇作家だが、その前に詩人です。

 

アイアンビックペンタミータ(弱強5詩脚)の詩のせりふを書きまくったばかりではない、短い詩(ソネット、12行詩)と長い物語詩を書いた詩人です。 

 

エンターテイナーだから、通り一遍の言い回しには飽き足りない、作り方、読み方、捉え方を一変させて、心底楽しませることのできる力量ある大詩人。

 

読めば、意識の深みにある遠い記憶を、懐かしい経験を想い出させ、現代の空洞を少しは埋めてくれるのではないか。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

http://shaks.jugem.jp/

 

 

| - | 08:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シェイクスピアの英語

 

言葉が弱過ぎる、弱すぎてあらゆる関係性が崩れてきた。

 

家族、コミュニティー、職場への帰属意識が薄くなった、一方、AI(人工知能)と情報技術が人間らしくもあった仕事を次々に奪ってくる。
 

言葉が忘れられるということは、人が生きる力を失ってきていることに他ならない、自分のことを考えるのに精一杯で、自分と異なる立場の人の身になって考えることがきないということ。

 

自分と相容れない状況に対処できない、自分の置かれている状況に当てはめて想像することができない。そんな人が増えてきている。

 

こうして人が老い縮小するばかりの平成が終わって新しい年を迎えても、人は枯れ萎んで行くばかり。

 

政治は、内政も外交も、すべて言葉の問題として表れてくる、魂の抜け殻だけが宙に舞い、漂い、日常生活のなかで交わされる会話は、声の投げ合いでなく、黙々と喋る相手はスマホのなかにいる。

 

萎んで行く国語をどう見る、どうする、二葉亭四迷が生きていたら何と言うか。

 

シェイクスピアが亡くなったのは1616年、日本でこの年に亡くなったのが徳川家康、随分とまあ昔の人のような。

 

で、シェイクスピアの英語は古いのだろうか、もはや声として聴こえてはこないのか、現代英語に脱皮したあとの皮殻に過ぎないものなのか。

 

近代に至るまでヨーロッパで広く用いられた共通語は、行政や外交においてはフランス語、学問や宗教においてはラテン語で、英語はヨーロッパの西の果ての島国で話される地域語に過ぎませんでした。

 

英語のステイタスに対して意識の変化が起こったのはシェイクスピアが登場したテューダー王朝で、この時期英語は統語法、綴り字、発音、意味、アクセントが大きく推移、変化しました。

 

西ヨーロッパから伝わったルネサンス人文主義の影響を受けて、英国の知識人は土俗語としての英語を洗練させるために言語改革運動を唱え始めます、古典古代の教養を身につけて人間をつくり、修辞学(rhetoric)を重視して言葉をきちんと操れるような人間を、英語を洗練すれば人格を陶冶でき、議論することができるようになるじゃないかと。

 

テューダー朝を代表する女王エリザベス1世(在位1558-1603)の家庭教師を務めていた人文学者ロジャー・アスカム(1515-68)は、その著『教師論』(1570)のなかでラテン語の習得とそれに伴う母語の洗練が不可欠と主張しました。

 

アスカムが勧めたのはラテン語と英語を二重翻訳するというやり方で、生徒はまずお手本(古代ローマの弁論家キケロによるラテン語の文章)を英語に訳す、一時間ほど時間をおいて自分の英訳をもとにラテン語作文して、原文と並べて言語構造を比較するというものでした。

 

当時は褒めて伸ばす教育ではなく、できない生徒はカバの枝を束ねた鞭で引っ叩くというものでしたから、シェイクスピアは叩かれながら両言語の構造を頭に叩き込まされたのです。

 

大学には行かず、後輩にあたるライバル友人ベン・ジョンソン(1572-1637)に「ラテン語はちょっぴり、ギリシャ語はそれ以下」とこき下ろされはしたが、実際にはシェイクスピアのラテン語能力は高く、それに伴い英語力は圧倒的に高度に洗練され、膨らみ、繁殖力あるものとなったのでした。

 

いま日本では子どもたちに外国語としての英語をどのように教えるかが議論されて、と言っても議論の中心は情報技術中心に推移し、映像を活用した小学校英語教育が教科化される方向となっています。

 

英語に堪能な先生がいないので大変だ、だから画一的に漏れなくネイティヴの発音に触れてもらって、聴く・話す能力を高めてもらおう、狙いが分からないではないが、テクノロジーだけに依存していいのか、機器を操作するだけの英語教育でいいのか、英語学習に伴う国語の洗練はないのか、との疑問が湧きます。

 

英語と国語の二重翻訳というやり方について言えば、シェイクスピアの原文(ファースト・フォリオ)を日本語に訳し、しばらくして自分の日本語訳をもとに英作文し、できあがった英文を原典と比較する、こんなやり方で両言語の構造を頭に叩き込む、少しでもできたら褒めてあげる、引っ叩くのでなく、敢えてこんな古色蒼然たるやり方で英語力をつけ国語力を磨くというやり方はどうか。

 

オリンピックを控えて英会話教育が活況を呈しているのはいい、しかしこのように煽り立てる状況を冷ややかに苦々しく思っている者もいるだろう。

 

携帯用翻訳機器の性能はさらに高まり、万能ロボット登場も近い、こうなると苦労して英会話の力をつけようという人は一部の人間だけに限られてくる。

 

言葉を学ぶということは、母語であれ、外国語であれ、人間を鍛え、人を知り、世界を知り、多様な関係性に目を開き、光り輝くことであろう。

 

異言語学習にはそれなりのデメリットも伴う、御承知の通り、危険が潜む、中途半端、上っ面だけで内容が伴わなければ、人格の破壊、国籍不明者になってしまう、そんな例を私はたくさん見てきた。

 

シェイクスピアを通して母語を振り返るという活動には多くの可能性があるのは間違いない。

 

この信念に基づいて言うならば、シェイクスピアの英語は小学生から学ぶべきものである。

 

英国では小学校低学年生からシェイクスピアの原文朗読があり、高学年になると、義務教育の正式な授業科目の一つとして『ロミオとジュリエット』などの原文朗読が課されます。

 

You は Thee や Thou と書かれ Your は Thy と書かれているが、気にしない、すべての単語を理解する必要もない、劇中で何が起こっているか大筋が分かったらそれでいい、読んで、読んで、最後まで読み切ることが重要なのです。

 

現代英語訳というものはない、シェイクスピアの英語が現代英語ですから。

 

中学生になると発声練習やパフォーマンスの実践体験学習が待っていて、物怖じせずに堂々と発言し行動できるようにしつけられます。

 


シェイクスピアは原文で読むことに価値があると思われているのは、韻とか原文の言葉の響き具合が消えてしまうのを怖れるから。

 

中学生にシェイクスピアの演劇的教育が課されるのは、シェイクスピアの英語と舞台劇が英国人としての人格形成と幅広い生き方に大きな影響力を持つ、シェイクスピアは立派な大人をつくる、レディーとジェントルマンをつくると考えられているからです。

 

英国人はみなシェイクスピアの原文を国語として直接読む、英国有為の人材になるにはシェイクスピアを学ばなければならない、この人づくり、国づくり事業を担うのがロイヤル・シェイクスピア・カンパニーですが、ロイヤルファミリーも常に表に出て檄を飛ばしています。

 

人格形成と人生の幅を広げることにウェイトを置く英国の国語教育を思うにつけ、わが国の国語教育、外に向けての日本語教育の工夫のなさが思いやられます。

 

シェイクスピアを読んで想像力豊かに感情表現できるならば、人とこの世に対する関心と好奇心が芽生え、諸々の関係性を学び直そうという気持ちになるでしょう。

 

推理・思考に磨きがかかり、ものごとの高次の性質を知りたい探りたいと思うようにもなるでしょう。

 

言葉を交わして自分とは違う立場や環境にあるある人と共鳴し合おう、あるいは、まとまった文章をひらがな、カタカナ、漢字を使って書いてみようという気持ちになるかもしません。

 

そんな気持ちになれば世界に通用する立派な大人になれる、間違いなく、と思って、調べてみて、驚いた。

 

学習支援していて中学校の英語教科書を片っ端から調べて分かったのだが、シェイクスピアが登場しない、微塵も触れられていない。

 

ルーン文字(rune)から教えろと野暮なことは言わないが、シェイクスピアの英語に辿り着くまでの英語史の概要くらいは踏まえさせなければいけない。

 

ヒアリングはこう、リスニングはこう、リーディングはこう、ライティングはこうと、こんなところにも分断思考が及んでいて、いだけない。

 

知的興奮を起こさせない教科書では英語嫌いを増やすくらいのことしかできないんじゃないか。

 

英語に大きな変化が起こったのはシェイクスピアの少し前、チョーサーのミドルイングリッシュとは違う、つまり古文でなく現代文、いまの文法、いまの語彙です、綴り字はちょっと違ってはいるけれども。

 

小学校の4年生はもう大人、水で薄めたような内容の教材ではどうにもならない、世界に通用するような人物になれません。

 

シェイクスピアを読んで人とこの世を知り、対者との関係を学び、人が好きになること、生きること、死ぬことまでを含めて、人生について深く考えてもらわなければならない時期、シェイクスピアを盛り込んだ読み応えのある英語教科書を早急につくるべきです。

 

『ロミオとジュリエット』などは、男女間の礼儀作法、恋愛、結婚の問題を扱うモラル教育の格好の教材になります。

 

ヨーロッパを歩き回って、自分も含めて、日本人は未熟児状態にある、大人として生きていない、ゆとりを持って心豊かに生きていない、他者とかかわって生きようとしない、大人になり損なって世界のなかで孤立している、そんな寒々とした印象を持った。

 

この悔しい思いを払拭するには、小・中学生にしっかりとした外国語教育を、シェイクスピア読解能力をつけ、この世の原型とも言える多様な人物に接して、広い視野と深い洞察力を、そう訴えざるを得ない。

 

AI時代、情報化時代、グローバル時代を人間らしく生き伸びるためにも、子どもたちは格調高い英語を学んで国語に磨きをかける、自分の目と耳で見聞し、自分の頭で考え問題の所在を見極め、見捉えることのできる人間に。

 

そう、ぽつぽつでいい、世界に向かって英語混じり日本語で発信するくらいにならなきゃ、その場合国語でなく世界に溶け込むような日本語を使う、触りの部分を英語にして、何を恥じることがあろうか。

 

人間関係から国際関係までの役割を担い得る幅も厚みも深みもあるグローバルマインドの世界市民になるためには、シェイクスピアの英語を通して国語力をつけ、外に向かっては英語混じり日本語を発信する、黙ってニコニコして誤魔化すのでなく、イエスとノーを明確にして、堂々と。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

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