シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
自惚れーソネット62 

 

梅雨明けて猛暑続き、汗をかいたほうがいいと自惚れて歩き回っていましたが、うなぎのぼりに危険な熱さに、いまは隠忍自重、朝から昼寝しています。

 

自惚れは self love とか self-conceit 、自己陶酔は narcissism と言いますね。

 

先の参院選はこれらの単語が勢ぞろいして組織戦の様相を呈しました。

 

参院の意義はチェック機能にある、本来は各界、各層を代表する市民が推薦で選ばれる良識の府であるべきでしょう。

 

れいわ新選組が組織に頼らず当事者を主役に押し出したのはよかった、が、あきらめと飽きの変動なしの結果に。

 

でありながら、政権与党は国民の信任を得た、改憲論議をと総括、議会制民主主義が死にかかっているというのに、自分に都合のいいように解釈して自惚れている場合ではありませんね。

 

内政も外交も自惚れた結果、後退に継ぐ後退、3本の矢も、社会保障も、地球儀外交も、グチャグチャにとっ散らかしてしまって、どう始末をつけるのでしょうか。

 

シェイクスピアのソネットに Sin of self-love  というのがあります。

 

 

 自惚れという罪が私の目に取り付いている、

 魂に、この体のすみずみにまで。

 この罪は誰も取り除けない、

   私の心に深く根ざしているから。
 思うに私のこの顔は誰よりも端正で、
 姿は誰よりも優美で、並び立つ者はいない、

だれ一人として持ち合わせていない、

 私にまさる価値を。

 ところが鏡に映った自分を見ると
 黒ずみ老いさらばえた顔があり、

 自惚れとは真逆だと思わざるを得ない
 自分は、自惚れは罪深い、

   君なんだよ(自惚れて)自分を称えているのは
   君の美しさで自分の老いの身を飾っているんだ。

 

               ソネット62

 

 

 Sinne of selfe-loue possesseth al mine eie,

 And all my soule, and al my euery part;

 And for this sinne there is no remedie,

 It is so grounded inward in my heart.

Me thinkes no face so gratious is as mine,

 No shape so true, no truth of such account,

 And for my selfe mine owne worth do define,

 As I all other in all worths surmount.

 But when my glasse shewes me my selfe indeed

 Beated and chopt with tand antiquitie,

 Mine owne selfe loue quite contrary I read

 Selfe, so selfe louing were iniquity,

   T'is thee(my selfe)that for my selfe I praise,

   Painting my age with beauty of thy daies.
 

     gratious = beautiful  true  端正な   truth 容貌と心の誠実の両義  

     of such account こんなにも評価されるべきものの意  As = As if    

    surmount = surpass

 

 

自惚れが心に深く根ざしていると自嘲的に語る詩人、自分が自惚れていたのはほかならぬ君(thee)と若さを共有していると錯覚していたからだと。

 

この thee は誰か、何か、多義的ですね、いかにもシェイクスピアらしい。

 

自分の愚かさに気づかない底知れぬ自惚れの罪。

 

五輪は世界を映す鏡、人種、性別、言語、宗教、障害の有無の違いを肯定的に受け入れて認め合うのが人類の進歩、世界の平和に繋がる、そんな多様性を肯定する社会を目指す方向となっています。

 

その通りなんでしょうが、いまの私たちにはそう考えるだけの心の余裕がない。

 

仕事を持つ女性は、忙しすぎてストレスフルに、職務と母親業、妻業の間で揺れ、老夫母の介護問題を抱えるが夫の無理解があって葛藤が多い。

 

女性も、子どもも、後期高齢者も、心豊かに生き甲斐をもって生きることのできる政策を構想してもらいたいが、政治家は経済力、軍事力第一に国を守ることに忙しくて、そんなことを考える余裕はない、ないない尽くし。

 

子どもたちは英語が話せない、日本語が話せない外国にルーツを持つ子どもに必要な支援は届かない、多様な文化を重視する異種組み合わせ授業は行われない、ドロップアウトした子どもが自立できる学びの場はない、学校歴が気になり多様な価値観に基づく個別最適化教育はできない、同一平等主義を引きずる学校で子どもたちは主体的、対話的、体験的に学習して未来の創り手としての資質や能力を伸ばすことができない。

 

日本ではいま多くの外国人が働いていて、仕事も外国語まじリ日本語でやっていますね、この現実を踏まえて彼らと伴奏すればいいんですよ、自動翻訳機を使って日本語混じり外国語で話す能力を身につければいい、要はお喋りを愉しむ心を育ててあげることなんですからね。

 

ところが現実は酷過ぎて、そんなお喋りを愉しむ時間がない、分刻みで子どもたちは動き回らなければならない、そう、勝つために。

 

極端な少子化と超高齢化が進んで他殺と自死の常態化する社会になり、税金の30%強が高齢者対象の年金・医療・介護の社会保障費に使われ、国防への安全保障費は目の玉が飛び出るほどに増強され、その分忙しく働いている者への手当はない、働き方改革は進まない、若者の教育費や学術振興費に使われる割合は狭められている。

 

潤沢な資金と取り巻き連中の支えによって虚飾の上塗りを繰り返す巨大組織は、恥じらいもなく上っ面の自惚れの罪を犯し続け、この6年あまり問題の本質を覆い隠す政治偽装は極まり、文書改ざん、記録なし、記憶なし、統計改ざん、調査無し、医療・介護・福祉・教育の偽装、詐欺組織の蔓延、行政からマスコミに至るまで長期政権への忖度があって日本の報道自由度は下がり、今回の参院選の史上2番目に低い投票率を招いてしまった。

 

責任を取らない政治家諸君よ、一粒の良心があれば、悔い改めて、中国、ロシア、アメリカ、朝鮮半島との関係を正し、空母や戦闘機などを整備しなくてもいい社会を、女性や子どもがほっと一息つける国づくりに税金を使ってくれないか。

 

ついでに後期高齢者が生き甲斐を持って生きることのできる社会の仕組みづくりを考えてくれ。

 

いや、国が激しく分断されたいま、一市民としてやるしかないか。

 

高齢者よ、一歩外に出て、医者や薬に頼らない体力づくりに精出そう。

 

政治は暮らしの根付く場にあり。

 

向き合うのは地域であって、国ではない。

 

人の息遣いを感じられるところでボランティア活動に楽しく面白くかかわっていこうではないか。

 

虚飾で身を飾ることに汲々していると、鏡に映る黒ずんだ醜い顔を目にすることになる。

 

 

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クレオパトラのワインー『アントニーとクレオパトラ』5幕2場

 

プラごみと鉛の処理がうまくいっていないんですね。

 

ベートーベンが耳が聴こえなくなったのは鉛が原因で、毛髪から通常の百倍近い鉛が検出されたそうです。

 

原因はワインに用いられた酢酸鉛で、当時安物のワインの醸造過程で甘味料として加えられていたのです。

 

甘いワインをがぶ飲みしていたベートーベンは、いつもお腹の具合いが悪く、最後は肝硬変になって、死に至ったらしい。

 

古代ローマ時代には水道管に鉛管を使い、ワイン保存に鉛を添加していたために、深刻な鉛中毒が起こって、亡国の原因になったと言われています。

 

いまゴミを徹底リサイクルしようとしても、古い家電などに鉛が入っていて、うまくリ処理できないのです、飛び散ってしまって。

 

私は信州塩尻産の井筒ワインをチビチビ舐めていますが、こちらは大丈夫、たぶん。

 

いままでプラごみは中国に搬送、古い電化製品は廃棄されて、燃えないゴミとして、あっちこっちに埋め立てられていたのです。

 

そこに雨が降る、工場の排煙(鉛が含まれている)で汚染された酸性雨が降る、雨は埋め立て地の鉛を溶かして土を汚染する、汚染水は地下水に沁み込み、汚染水は降り続く雨によって川と海に流れ込み、そこに棲む魚に鉛が蓄積する、こうして土壌から始まった汚染は地球の生態系を壊し続けてきたのです。

 

恐ろしいのはその蓄積性で、人体に吸収された鉛のほとんどは骨に沈着して、容易に排出されず、中毒症状を起こして、疲労感、不眠、便秘、神経過敏、頭痛、精神異常が起こり、鉛はブーメランのように回転して私たちの心身を直撃してくるんですね。

 

大気汚染を怖れてではないが、最近は上野にも、渋谷にも、日比谷にも、紀尾井町にも、人の集まるところにはあまり出かけません。

 

でもね、テレビのコンサート番組は別、先日、2019年4月公演のN響定期演奏会をEテレで観ました。

 

指揮はヤクブ・フルシャ、ソプラノ独唱がヴェロニク・ジャンス、曲目はR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」、ベルリオーズの「クレオパトラの死」、そしてヤナーチェクのシンフォニエッタ。

 

そのなかで「クレオパトラの死」がドラマティックでよかった、パチパチ。

 

クレオパトラの独白という形で、長身で、細身、赤いロングドレス姿のジャンスさんのソプラノの独唱が際立った。

 

クレオパトラには毒蛇に身を嚙ませて死んだというエピソードが残っていて、若き日のベルリオーズがこの部分を曲にしたのです。

 

シェイクスピアにも『アントニーとクレオパトラ』があり、この場を想像力豊かに次のように表現しています。

 

 

クレオパトラ 礼服をとって、王冠を被らせて、私はもう

 エジプトの葡萄の汁でこの唇を潤すことはない。

 さ、早く、アイラス。早く。聴こえるのよ

 アントニーが呼んでいるの。身を起こして

 私の立派な行為を褒めているわ。笑っている

 シーザーの幸運を、神々が与えてくださったのよね

 怒った後は赦してあげなさいって。あなた、いま行きますよ。

 さあ夫の名にかけて、勇気を出して私の称号を証明しなきゃ。

 私はいま火よ、空気よ。私の他の元素は

 卑しいこの世に遺して行きます。どう、すんだ?

 さあ、私の唇からお別れのキスを受け取ってね。

 私の唇に蛇の毒がついていたの?倒れちゃって?

 お前と、命がこんなにやさしく別れられるんなら、

 死神に殺されるのは恋人に抓られるようなもの、

 ちょっと痛いけど、いいわよね。まだ倒れているの?

 こんな風に死ねるんなら、世間に教えてあげなきゃ、

 死なんてさよならを言う値打ちもないわよって。

 

                5幕2場

 

 

Cleo. Giue me my Robe, put on my Crowne, I haue

 The iuyce of Egypts Grape shall moyst this lip.

 Yare, yare, good Iras; qui>Anthony call: I see him rowse himselfe

 To praise my Noble Act. I heare him mock

 The lucke of Caesar, which the Gods giue men

 To excuse their after wrath. Husband, I come:

 Now to that name, my Courage proue my Title.

 I am Fire, and Ayre; my other Elements

 I giue to baser life. So, haue you done?

 Come then, and take the last warmth of my Lippes.

 Haue I the Aspicke in my lippes? Dost fall?

 If thou, and Nature can so gently part,

 The stroke of death is as a Louers pinch,

 Which hurts, and is desir'd. Dost thou lye still?

 If thus thou vanishest, thou tell'st the world,

 It is not worth leaue-taking.

 

  Yare = Briskly    qui>  =  quick       Aspicke = Asp  

 

 

私はもうエジプトの葡萄の汁でこの唇を潤すことはない、女王はベートーベンのようにワインをがぶ飲みしていたのか。

 

ここに出てくるシーザーはジュリアスではなくて執政官のオクテヴィアス・シーザー、クレオパトラはもう一匹の毒蛇も胸にあてがい夢を見るようにこと切れるのです。

 

ジャンスは20分間フランス語で母音と子音を明瞭にうたい続けて絶望と諦観を、弦、管、打の音が静まるなかで敗北と栄光を語り、かつての日々を思い出します、ナイル、ファラオ、イシス、オシリス、ピラミッドという声を濃く薄く残して、そしてさいご、声にならない声でうたい続けて消えて行ったのです。

 

クレオパトラのワインという伝説があって、ティエポロが『クレオパトラの饗宴』(1744)にワインに真珠を溶かして飲むクレオパトラを描いています。

 

ワインが酸化してワイン・ビネガー(酢)になると、真珠が酢酸に反応して溶け、ワインのなかの酢酸が消えて炭酸ガスと水になりアルコール分が残る、つまり、クレオパトラは当時の酸化するワインを再生させて飲んでいた、こういうことになるんですね。

 

真珠はほんとにワインに溶けたのか、お腹を壊すことはなかったのか、ちょっと気になりますね。

 

もっと気になるのは今回の参院選、不穏な政治・社会情勢のなかで国のかたちを変えるような国民的議論がまたまたはぐらかされようとしている。

 

候補者に土や水を問う意識がない、社会保障と安全保障の真のあり方を問う人格教養がない、閉ざされつつある人間の未来を憂う顔がない。

 

人間の劣化が際立ち、この世が醜い卑しいものになってきました。

 

 

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英詩朗読

 

安倍首相は令和をあからさまに政治利用していますね。

 

令和初の国賓として招かれた米国大統領が令和フィーバーを盛り上げる接待外交であったことが明らかになりました。

 

トランプさんが貿易交渉の妥結は8月、参院選後と言い、日本との緊密な関係が中国の覇権自制を促し、北朝鮮への圧力になると。

 

平成から引きずる政治問題を祝賀ムードでチャラに、難しいことをいう奴は排除できる空気に。

 

社会を浮ついた状況にして冷静な議論をする判断力を国民から奪ってしまえると考えたようだ。

 

日常的に起こるテロとも言える殺傷事件をよそに。

 

お祭り気分で来月は選挙なのか。

 

学生のときに当時の高橋源次学長から J.F.Kennedy の大統領就任演説(1961年1月20日)を読まされた、My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man 〜世界中の人びとに韻律を持つ形式で拡張高く訴えたスピーチを思い出します。

 

そしてもう一つ思い出すのが、中学生のとき、ほろ酔い加減の親父の前でアメリカの詩人ポー(Edgar Allan Poe、1809-49)『アナベル・リー』(Annabel Lee、1849)を朗読させられたことを。

 

  IT was many and many a year ago
 In a kingdom by the sea
 That a maiden there lived whom you may know
 By the name of ANNABEL LEE
 And this maiden she lived with no other thought
 Than to love and be loved by me.

   I was a child and she was a child
   In this kingdom by the sea
   But we loved with a love that was more than love
   I and my ANNABEL LEE
   With a love that the winged seraphs of heaven
   Coveted her and me.

   And this was the reason that, long ago
   In this kingdom by the sea
   A wind blew out of a cloud, chilling
   My beautiful ANNABEL LEE
   So that her highborn kinsman came
   And bore her away from me
   To shut her up in a sepulchre
   In this kingdom by the sea.

 

昔々

海のほとりの王国に

一人の娘が住んでいた
その名はアナベル・リー
いつも心に思うのは

 私を愛し私に愛されることだけ。

 

 私もあの子も子どもだった

海のほとりの王国では
でもこの上なく深く愛し合った

私とアナベル・リー
天上の翼ある天使たちも
羨むほどに。

 

それがいけなかったのか、遥か昔
海のほとりの王国に
冷たい風が吹いて、凍え死にさせた
美しいアナベル・リー
天上の天使たちがやってきて
あの子を私から取り上げ
墓のなかに閉じ込めてしまった
海のほとりの王国の。

 

 

インナセパルカー インディスキンダム バイザシー〜音声の長短、母音と子音、長母音、リエゾン、アクセントを意識させられたことがいまも鮮明に。

 

ポーは26歳のときに13歳のヴァージニアと結婚、彼女は病弱で24歳のときに結核で亡くなり、その2年後にこの詩が書かれ、同年にポーもこの世を去ったのでした。

 

詩はぜんぶで6連あり、それぞれ6・6・8・6・7・8行になっていますが、ここでは前半部分のみ。

 

ポーはこの詩をバラッドと言ったようですが、伝統的なバラッドは4行連で、弱強脚を4回繰り返し、2行と4行の終わりに脚韻が付きますね。

この詩の最初の2行、It was many and many a year ago/In a kingdom by the sea は、強弱|強弱弱|強弱弱|強弱強/強弱|強弱|弱弱強|となるのでしょうか、構造は強と弱が11音節と7音節、多音節行と少音節行が交互に出てきて、他の行は必ずしも交互構造が一貫していない、次の4行には詩的韻律があり複雑、バラッドとは異なります。


脚韻はあって、最初のスタンザは go, know, thoughtSea, Lee, me が交互に、響きのよい句の反復があり、kingdom by the sea が繰り返され、Annabel Lee beautiful Annabel Lee  と繰り返されて、I was a child and she was a child という対比的なリフレインに。

 

英語の発音は腹式呼吸でやりますが、腹式呼吸というのは私たちにとっては通常の呼吸法ではありませんよね。

 

違いを明確にして言えば、立ったり座ったり寝転がったりしているとき、肋間筋と横隔膜の収縮と弛緩によって息を吸うときに胸が膨らみ、息を吐くときに胸が縮みます。

 

日本人には自然な胸式呼吸運動による吸い込む空気はせいぜい500cc、この量の呼気で私たちは言葉を発しているのです。

 

腹式呼吸では、腹筋と横隔膜を使って息を吸い込みますので、お腹が膨らんだり凹んだりして視覚的に確認することができます。

 

腹筋と横隔膜の動きによって吸い込むと通常の3倍くらいの空気を吸い込むことができて、このように空気をたくさん吸って発声するのが英語を話すときの呼吸法。

 

呼吸は姿勢と密接に関係して、私たちの多くは猫背ぎみ、前屈み、横隔膜の上下動を制限しています、この状態で息を吸い発声しても声帯に力を入れて声門を開閉させるだけで深みのある太い声は出てきません。

 

英国人は姿勢がすこぶるよろしい、背筋をぴんと伸ばし、胸を張り、まっすぐに立ち、両手をたらし、歩くときはサッサッサッと大股に。

 

肋間筋を動かすか腹筋を動かすかの違いは異習性、異文化の違いとしか言いようがありませんが、英語を喋るにはこの異文化呼吸法を意識的に身につけなければならないでしょう。

 

詩は心に湧き上がる気持ちや想いを言葉に託す言葉の芸術で、洗練された語彙、配列の醸し出すリズム、詩は美しい言葉の結晶と言えます。

 

福原麟太郎先生に教わったと言っていた親父は、英語の詩の響きとリズムを一息の深い呼吸で息子に朗誦してみせたかったのです。

 

そう、マザーグースからワーズワース、バーンズ、ロゼッティーらの短詩から始めて、ポーやホイットマンも含め、シェイクスピアのソネット(十二行詩)までをレッスンする、これら英語の詩を朗読しながら英語の始まりを、つまりモダーンイングリッシュについて学ぶというのが英語学習の王道ではないでしょうか。

 

腹式呼吸法を身につけ、大勢で声を合わせて英語の歌をうたい詩を朗読する、そのようなやり方で英語を学習するなら、子どもたちも、英語を苦手とする方々も、年齢に関係なく、心を弾ませながら学ぶことができるのでは。

 

深い呼吸を必要とするのでほどよい有酸素運動にもなるでしょう。

 

詩があるじゃありませんか、この世が空疎で殺伐とした韻律のない散文的物言いに覆われていても。

 

 

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