シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
AI を凌ぐ人間力−ソネット59

 

世界は多極化し、社会主義、資本主義、民主主義、教育の常識という常識が非常識な事態となった感のある令和元年、登場してきたのが AI (人工知能)とロボット、この世を一変させかねない第4次産業革命の到来。

 

平成最後の先日、NHKの「クローズアップ現代」が AI 時代の仕事と教育のあり方について手探りの議論を交わしていました。

 

すべてが AI 化、ロボット化される未知の世界に備えて、人間はどのような力を身につけたらいいか、そういった内容。

 

この世の規則がすべて人知を超える意識を持つAI に合わせられる、そんな事態に備えて、 AI に倫理の概念を持たせることができるか、人がいらなくなった社会に人間はどのように適応できるか、私たちは AI に負けない人間力(つまり共感関係を築く力)を身につけなければならないだろう、と。

 

一昔まではシステムを支える普遍的フィロソフィーというものがありました、曰く、自由主義、曰く、民主主義。

 

けれども、資本主義的経済システムの成熟とグローバル経済システムの出現の重なり具合から読み取れるのは、見事に構築された驚嘆すべき理念などではない、あるのは不平等をもたらす搾取装置であり、富はことごとく一部の人間に集中する不自由主義と多数決民主主義です。

 

AI を権威あるものに押し上げた実証的客観性と数学的厳密さ、 誰も逆らえない。

 

AI を支えるフィロソフィーは何か。

 

実証的客観性と数学的厳密さから出てくるものは、強いのが正しい、一番に価値があるとする理念、そんなプロパガンダに煽られて理系研究者は大金を動かす権威に世界一になる儲け話を吹き込む、増額された競走的資金が研究に流れて、これを文系研究者が批判しても議論が科学的でないと一蹴される、あげくに干される。

 

搾取と不平等が加速して社会を分断して行くが、格差を回避する手立てはない。

 

昔に比べて私たちの頭は脆弱になったのか、昔の人のほうが優れていたのか。

 


 新しいものは何もない、いまあるものは、

 以前にもあったというのであれば、欺かれているんじゃないか、

 新しい作り物を異常出産するようなもの

 前に生まれた子どもをもう一度生み直して?

 ああ振り返って詳しく記憶を辿り、

 500年の過去まで暦を遡ることができるならば、

 古い書物で君のイメージがどんなものか分かる、

 人がはじめて思いを文字に託して以来の。

 昔の人がどのように言ったかが分かる、

 この見事に構築された驚嘆すべき君の身体を、

 私たちが進んでいるのか、彼らの方が優れているのか、

 あるいは歴史は同じことを繰り返すのか。

  ああ私は確信する昔の才能ある者たちの、

  捧げた讃辞のほうだろう劣っているのは。 

 

              ソネット59

 

 

 IF their bee nothing new, but that which is,

 Hath beene before , how are our braines beguild,

 Which laboring for inuention beare amisse

 The second burthen of a former child ?

 Oh that record could with a back-ward looke,

 Euen of fiue hundreth courses of the Sunne,

 Show me your image in some antique booke,

 Since minde at first in carrecter was done.

 That I might see what the old world could say,

 To this composed wonder of your frame,

 Whether we are mended, or where better they,

 Or whether reuolution be the same.

  Oh sure I am the wits of former daies,

  To subiects worse haue giuen admiring praise.

 

  beguild = cheated   laboring = giving birth   mended = improved

 

 

聖書からの引用が目立つ十四行詩、「 この見事に構築された驚嘆すべき君の身体」(this composed wonder of your frame )は多様なイメージを呼び起こします。

 

16世紀の西ヨーロッパに始まった近代システムはヒューマニズム(humanism、開放的調和的市民的人間性)に基づく発展の営みでした。

 

ポスト近代システムの状況は、資本主義的経済システムの成熟化などではなく、グローバル経済システムへの交替というのでもなく、人間の意思がプログラムで制御される未知の世界への盲目的突入に他ならない。

 

人工知能は人間の自由意思や自律性を維持するシステムではなく、労働は AI に代替され、ヒューマニズムは否定され、もはや生身の人間は必要でない。

 

機械の知能化は人間の肉体的知的能力を広げるどころか、生活や、政治、経済、教育の諸制度に影響を及ぼして人間から仕事を次々に奪って行く、大企業に新しい時代に備える人材育成の工夫はない、高学歴のエリートは必要ではない。

 

人間が捨てられて行くのを食い止めるのが政治の役割のはずだが、政治家に危機意識はない、今までのやり方でやり過ごそうとしてて対症療法しか政策提言しない、政党は自由や民主の名称にこだわり、膠着状態に陥っている。

 

NHKは AI 時代のシステムを支えるフィロソフィーを次の三つに収斂させてみせました。

 

1、クリエイティヴィティー(creativity)、即ちアイディアを実現させる力

2、ホスピタリティー(hospitality)、即ち親切なおもてなしの心

3、マネジメント(management)、即ち心の管理能力、業務のほうでなく

 

これらを理念として AI の得意分野と不得意分野を見極め、AI に負けない人間力をつけなければなりませんと。

 

AI の不得意分野は言語の理解であろうから、自分の頭で考え、自分の言葉で話し、誰かを愛することを知り、詩をうたい、一緒に力を合わせて何事かを成し遂げようと協調し合う、そんな真似は AI にはできないだろう。

 

人間は自分に都合のいいように何でも、歴史でも何でも利用してきたから、付け上がり、たかを括り、傲慢不遜、てんから恥じることがない。

 

そんな体たらくだから、人工知能は人間の頭を遥かに超えて言語を理解し、感覚を持ち、感情を持ち、意志を持ち、自ら設定した目標を実現するところまで進むだろう、間違いなく。

 

いずれ AI もロボットも噴火爆発して地球史的な進化の最終段階を迎えるのではないか、その兆しはもう見えている。

 

見事に構築された驚嘆すべき関係性を築くための新たな教育は、超知能文明への到達を断念して、土、水、太陽、空気、山、川、海に触れて命を躍動させ、輝かせる、ついでにシェイクスピアを読んで人間知と社会知を深める、関係性構築力に磨きをかけ、研ぎ澄まし、はびこる人間悪と社会悪に立ち向かう、これ以上の対処法があるだろうか、ないんじゃないか、いや、ほんと、冗談ではなく。

 

権力者の「命令」が人間の「麗しさ」までコントロールしようとするいま、AI とロボットの時代に必要とされる人間力とは、強い声、大きい声、ましてや権力を持つ者の声などではないことを再確認しておきたい。

 

 

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| - | 07:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
天球の音楽−『ヴェニスの商人』5幕1場

 

平成に代わる新元号発表後、国際的に影響力が大きい英BBC放送が令和は order(命令、秩序)と harmony(調和) を表すと報道し、 order は command(指令)を意味すると報じた欧米メディアもありました。

 

令は通常法令、勅令、律令など法律の意味で使われますから、法の支配に基づく、つまり秩序ある調和とイメージできるでしょうか。

 

ところが、異なる解釈をされてはたまらないと政府は英語で説明する際 beautiful harmony(美しい調和)という趣旨だと伝えるようにわざわざ在外公館に指示しました。

 

令なんてこれまで書いたことがないし、真逆の意味に使われることだってあるんじゃないでしょうか、複雑な漢字。

 

令嬢、令息、令夫人はもはや死語ですね、うるわしいんであれば麗しいって書くでしょうし、巧言令色と言えば笑顔つくって口先上手に人を喜ばせ媚びへつらうことでしょ、どこかの政治家みたいに。

 

江戸時代まではぜんぶ中国起源、漢字、日本語の音にこだわって工夫されたくずし文字がひらがな、おんな文字と言われてきたものです。

 

日本の古典、あるいは和語を強調したけりゃ、音を重視して、「れいわ」あるいは「れいな」にすりゃよかったのです。

 

大化の改新から始まった元号ですが、中国に元号はもうないし、世界中で残っているのは日本だけだし、天皇制度そのものが問われているときだしね。

 

和も色々物議を醸す漢字、意見を言うより体制に従うほうが楽という同調主義者が多いいま、和の本質を万葉の時代に照らして問い直すことにでもなれば結構でしょうけれども。

 

天皇から防人に至るまでの万の言の葉を集めた万葉集(まんにょうしゅうと発音)を典拠にしたいというのは分かります、音を借りた万葉仮名でというのはね。

 

茜草指 武良前野逝  標野行  野守者不見哉 君之袖布流(額田王、雑歌)をはじめとして相聞と言われる歌も溢れ返って、愛し合う古代の二人には、茜色に映える空から妙なる beautiful harmony も聴こえてきたのでしょう、きっと。

 

Beautiful harmony はこの世のものにあらず、天空に響き渡るもの(music of the spheres)、古代ギリシアの時代から天体の運行が人間の耳には聴こえない音を発して、宇宙全体が一つの大きな音楽を奏でるという発想がありました。

 

天球の音楽は、しかし、常に大きく鳴り響くために、人間はその音に気づかない。

 

数の原理に基づいて音楽が宇宙を体現すると着想したのは紀元前6世紀のギリシアの哲学者ピタゴラスですが、これをプラトン、プトレマイオス、アウグスティヌス、ボエティウスらが受け継ぎ、ケプラーも自身の理論を天球の音楽に結びつけました。

 

天球が発する音楽、人間の体が発する聴こえない音楽、人間がつくった聴こえる器楽音、これらが段階を経て美しく調和すると彼らは考えたのです。

 

一大調和である愛の歓び、しあわせは、この世のものだけに終わるはずもなく、その無上のしあわせ感は天上界からの至福の声によって称えられていい。

 

天上界から届けられる声、であるならば、詩人シェイクスピアが言及しないはずがありません。

 

箱選びのシーンもヴェニスでの裁判のシーンも首尾よく終えたポーシャがベルモントに帰ってくる直前のくだり。

 

 

ロレンゾー 中に入って、お帰りを待つとしよう。

 いや。もう少しここにいようか?

 ステファーノ、頼む

 家じゅうに、奥様がお帰りだと伝えてくれ、

 楽師たちには外にと。

 なんてきれいなんだ月の光がこの庭に眠っているよ、

 ここに座って、音楽を

 そっと耳に入れようじゃないか、夜が

 美しいハーモニーの調べにぴったりだ。 

 お座りジェシカ、ほら空一面に

 キラキラした金の宝石がびっしりだよ、

 ここから見えるどんな小さな球も

 移動しながら天使のようにうたっているんだ、

 地球の周りを巡りながら

 あどけない瞳のケルブの声に合わせて。

 不滅の魂には天球の音楽が宿る、

 でもこの朽ちて行く泥の衣を

 卑しく纏っている間は、音楽は聴こえない。

 さあこちらに、ダイアナへの讃美歌を頼むよ、

 この上ない甘い調べを奥様の耳に真っ直ぐに届けて、

 音楽でお部屋まで案内してくれ。

ジェシカ 私はきれいな音楽を聴いても少しも楽しくないの。

 音楽の演奏。

ロレンゾー それはね、君は気が利き過ぎるから。

 野生の気ままの牛を見てごらんよ

 若い飼い慣らされていない子馬もそう、

 ぴょんぴょん跳ね回って、吠えたりいなないたり、

 血が熱くたぎっているよね、

 ところがたまたまトランペットの音が聴こえて、

 音楽の一節でも耳に入ると、

 みんな一斉に立ち止まって、

 荒々しい目も穏やかな眼差しに変わる、

 音楽の素晴らしい力によって。だから詩人は

 うたったんだオルぺウスは木、石、川を魅了したって。

 鈍感、頑迷、野蛮な連中も、

 音楽を聴けばたちまちその心根は変る、

 心に音楽を持たない者、

 綺麗な音楽の調和に感動しない者、

 そういう輩は叛逆、陰謀、略奪を犯しかねない。

 精神は夜のごとくに鈍く、

 感情は地獄のごとくに暗い、

 そういう奴らは信用できないよ。音楽を聴こう。

 

                5幕1場

 

 

Loren. Let's in, and there expect their comming.

 And yet no matter: why should we goe in?

 My friend Stephen, signifie pray you

 Within the house, your Mistresse is at hand,

 And bring your musique foorth into the ayre.

 How sweet the moone-light sleepes vpon this banke,

 Heere will we sit, and let the sounds of musicke

 Creepe in our eares soft stilnes, and the night

 Become the tutches of sweet harmonie:

 Sit Iessica, looke how the floore of heauen

 Is thicke inlayed with pattens of bright gold,

 There's not the smallest orbe which thou beholdst

 But in his motion like an Angell sings,

 Still quiring to the young eyed Cherubins;

 Such harmonie is in immortall soules,

 But whilst this muddy vesture of decay

 Doth grosly close in it, we cannot heare it:

 Come hoe, and wake Diana with a hymne,

 With sweetest tutches pearce your Mistresse eare,

 And draw her home with musicke.

Iessi. I am neuer merry when I heare sweet musique.

 Play musicke.

Lor. The reason is, your spirits are attentiue:

 For doe but note a wilde and wanton heard

 Or race of youthful and vnhandled colts,

 Fetching mad bounds, bellowing and neighing loud,

 Which is the hot condition of their bloud,

 If they but heare perchance a trumpet sound,

 Or any ayre of musicke touch their eares,

 You shall perceiue them make a mutuall stand,

 Their sauage eyes turn'd to a modest gaze,

 By the sweet power of musicke: therefore the Poet

   Did faine that Orpheus drew trees, stones, and floods.

 Since naught so stockish, hard, and full of rage,

 But musicke for time doth change his nature,

 The man that hath no musicke in himselfe,

 Nor is not moued with concord of sweet sounds,

 Is fit for treasons, stratagems, and spoyles,

 The motions of his spirit are dull as night,

 And his affections darke as Erobus,

 Let no such man be trusted: marke the musicke.

 

  expect = await  signifie = announce   tutches = strains   pattens 聖餐で

    パンを置く金・銀の皿パテナ   quiring = choiring   grosly = materially

  race = group   stockish = stolid   rage = savageness   fit = ready

    spoyles = acts of plunder   Erobus = Hell

 

 

夜空にまたたく無数の星、耳には聴こえないが宇宙に満ちみちている音、それに木霊して聴こえてくる楽の調べ、月の光、これらの情景から思い起こされるであろう天球の音楽がひそやかな響きを伴って観客に届けられるのです。

 

19世紀以降天球の音楽観は忘れられましたが、ヨーゼフ・シュトラウス(1827-70)によって新しい光が当てられました。

 

「ウイーンの森の物語」や「美しき青きドナウ」等の作品のある兄のヨハン・シュトラウス2世からウィ−ン大学医学舞踏会の音楽監督を引き継いだヨーゼフによって、1868年1月21日に「天球の音楽」が舞踏会のテーマとして初演されました。

 

この日会場全体は星を散りばめた青色の絹布で beautiful に飾りつけられたと伝えられています。

 

願わくば万葉の風よ、新しく大きく吹き直して天球の音楽を届けてくれないか、気が利き過ぎて疲れ切った人間の頭を弛め、荒々しい目が穏やかな眼差しに変わるように、美しいハーモニーの調べによって茜色に映える「れいわ」「れいな」の時代が訪れるように。

 

 

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| - | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
カトリックとの確執−『マクベス』2幕2場

 

東日本大震災発生から8年目の3月11日、各地で追悼の行事が開かれるようですが、すでに震災の風化が。

 

チベット住民が中国の弾圧に抗議したチベット動乱から60年経った日がきのう、3月10日。

 

ダライ・ラマが亡命政府を樹立したインド北部のダラムサラでは大規模なデモ行進が行なわれた模様です。

 

彼らはただチベット人として先祖代々の土地で生きて死にたかったのに、法治ならぬ人治の、一党独裁体制の、中国から、逃げなければならなかった、中国からすればチベット仏教(俗称ラマ教)は統一の邪魔だったのです。

 

宗教(religion)とは、何か不思議な事物に接したときに感じる畏怖や不安や疑惑の感情を惹き起こす対象への個の心的態度というべきものなんでしょうが、教義や儀礼の体系化が進んで個人を組織して社会的集団が結成されると、その社会の存続繁栄のために宗教が存在するということに。

 

こうして人びとを一つの共同体に凝集統合させる働きが求められて、宗教が生まれ、宗派が生まれて、宗派間の対立が起こったのです。

 

悟りとか言っても、自分で体得しなければ成立しようがない、にもかかわらず、人びとは集団体得してパワーをと思い誤ってしまうのです。

 

シェイクスピアにとって当時の宗派間の争い、カトリックとプロテスタントの対立は、劇作および上演活動を行なう上で大きな問題となっていました。

 

当時の社会事情としてアングリカン(英国国教会)以外の宗教を信奉することは禁じられていたのです。

 

エリザベス朝時代には亡命中のスコットランド女王メアリを担いで再カトリック化計画がありましたので、臣従の誓いを立て国教会の日曜礼拝に参列することが社会活動を営む上での大前提になっていました。

 

これに反すると非国民扱いされて、途方もない科料が課されるか、でなければ大逆罪を問われる事態に。

 

そんななかで二枚舌(equivocation)と呼ばれる詭弁術が流用されたのはカトリック詮議が本格化した1580年代の取調べがあってからのことで、1605年11月5日、火薬陰謀事件の発覚がきっかけとなってカトリック弾圧は頂点に達しました。

 

1606年3月、パンフが全土に配られて反イエズス会キャンペーンが実施される騒ぎになると、これに呼応してシェイクスピアは『マクベス』(1606)の門番の場に地獄堕ちの二枚舌を登場させた、ばかりではなく、王国の未来の支配者が誰なのか判然としない状況を意図的に設定し、その不透明さを具現化した魔女の3人姉妹、魔女の二枚舌にひっかかったマクベス、そしてこれら二枚舌という曖昧なカトリック的処世術を極限化した形でバーナムの森を動かしたのです。

 

ダンシネインの丘めがけて進軍して来ないかぎり大丈夫、女から生まれた者に負けるはずはないという幻影たちの予言を裏切って、枝葉に身を隠して進軍してきた兵士たちと帝王切開で生まれたマクダフを登場させることによって、劇の展開に二重三重の二枚舌を絡ませたのでした。

 

国王一座の座付作家としての義務感からバンクォーの子孫たる国王ジェイムズの家系の繁栄と重ねてカトリック自滅の劇をつくった、二枚舌は地獄堕ちという論理を展開して信頼と安心安全を得る集団的儀式を執り行った、と見ることは可能でしょう。

 

優柔不断というのではない、劇作家は宗教的に右に寄り、左にも寄り、この世の見通しと国の行く末について観客に深く考えてもらおうとした、そのことだけは間違いありません。

 

かつてない壮麗なせりふを響かせて。

 

 

マクベス あの音はどこからだ?

 どうなっているんだ俺は、音がする度にびくつくとは?

 何だこの手は?ああ、目玉が飛び出す。

 ネプチューンが支配する大海原でこの血を洗えば

 この手をきれいに洗い流せるか?いや、手のほうが

 連なり重なり合う遥かな波を血で染めて、

 青い海原を、真紅に変えるんじゃないか。

 

                   2幕2場

 

 

Macb. Whence is that knocking?

 How is't with me, when euery noyse appalls me?
 What Hands are here? hah: they pluck out mine Eyes.
 Will all great Neptunes Ocean wash this blood
 Cleane from my Hand? no: this my Hand will rather
 The multitudinous Seas incarnardine,
 Making the Greene one, Red.
 
   Neptune ローマ神話の海神  multitudinous Seas incarnardine
 (= turn red)ラテン語系の多音節で波のイメージを  

 

 

通史的に見れば英国民は1580年頃から17世紀の半ばまでに、演劇史的に言えば常設の商業劇場ができて劇場閉鎖に至るまでに、大きく一方に傾き、最大の道徳的な変化を経験することになりました。

 

劇の場を奪われ一段とピュリファイされた英国人は極端な聖書の民となったのです。

 

けれどもそれはあくまで表層の話であって、共時的深層の民衆の意識はそうではなかった。

 

宗教的集団が結成されて社会を存続繁栄させようという思惑とは裏腹に、シェイクスピア劇は極上のエンターテインメントとして成功し続けました。

 

それは、最晩年に至るまで、劇が宗教的心的態度を留めながらも、拘束されて不自由にならず、一方に傾かず、あくまで個人的に、自由、自主的、かつ開放的な心性と折り合いをつけていたところに認められます、時と所を超える美しく深い言葉を自在に使いこなして。

 

 

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