シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
酒は憂いの玉箒―『ヘンリー4世』(第2部) 4幕2場

 

 

「酒は百薬の長」と言われるほかに「酒は憂いの玉箒」という言い伝えも、北宋の詩人・書画家、蘇軾(そしょく、1036〜1101)の言ったものです。

 

血管を拡張し血液の流れを良くして血行改善、心臓病などの循環器系疾患の発病を抑え、胃を刺激して食欲増進、さらに、心の憂さを掃き去って忘れさせてくれる玉箒。

 

アルコールが体内に入ると、大脳の表面を覆っている大脳皮質(思考や知覚、運動、記憶などの機能を司る部位)の抑制が解放されて緊張がほぐれ、普段よりも陽気で快活になって会話が弾みます。

 

グラス一杯のワインは寿命を延ばすとも言われて、仲間と一緒にほどほどに飲めば人間関係が滑らかに、お酒の持つ作用と社会的な機能が相俟って長寿の効果につながるという、いいことづくめです。

 

『マクベス』の門番が「酒は興奮させるところもあれば、萎えさせるところもある」と言ったように、脳と神経系統の興奮の伝達に関係してお酒は飲み方次第で効果をもたらすが、害にもなる。

 

酒の持つ二律背反する現象と同じで、このところ国の大義を説く政治家の二律背反する言動が目立ち、この世は緊迫した情勢にあります。

 

酔っぱらって興奮しているのか萎えているのか、飲むほどに憂さは増し不安が倍加することにも。

 

シェイクスピアの時代には、因習の縛りとペストの猛威と切羽詰まった国際情勢が個人活動と社会活動に多くのねじれを生んでいました。

 

人と国家のねじれは劇作家の目にはまったく同じに見えました。

 

人も国も厳密にはできていない、理屈通りにはいかない、欲と情念に支配されている、不条理、二律背反、矛盾する存在である、私憤は国を分裂させ、政治活動はことごとく裏切りと報復の連鎖となり、国の大義は直ちに国際紛争を招くと。

 

ことを構えるには勇気がいる、覚悟がいる、しらふではものが言えない、動けない、酒の力が必要、そんなことを言ったのは『ヘンリー4世』(第2部)に登場するフォールスタッフでした。

 

 

 その通りやれる男になれっての。できりゃたいしたもんだ

 公爵領以上だろ。そうよ、あのしらふの糞真面目野郎

 俺が嫌いで、笑うってことが

 ない。不思議はねえ、知らないんだ

 ワインの味を。ああいう酒嫌いにかぎって

 ろくな野郎じゃない。水で薄めたやつしか飲まねえから

 血が冷える、魚ばっかり食うから、

 男のヒステリーになる。で、

 結婚すりゃあ娘っ子ばかり生む。まずは

 馬鹿か、腰抜けだ。俺たちも油断はならねえ、

 酒でカッカとさせなきゃ。そもそも極上のシェリー酒には

 二重の功徳がある。第一、まず頭に駆け上がって、そこの

 阿呆で、退屈で、凝り固まったやつを干し上げる、

 モヤモヤを。血の巡りをよくして、一気に、創意、

 即座に、血気盛ん、愉快なことを思いつく。それを

 声にする、舌に載せる、するってえと

 生まれるんだ、極上のウィットが。第二に

 シェリー酒の功徳は、こうだ、血をほてらせる。

 それまでは(冷たく、淀んで)、肝臓を白く、

 なまっ白くさせていた。臆病、腰抜けのしるしだ。

 ところがシェリー酒でカッとほてりゃ、駆け巡る

 五臓六腑を、両手両足まで。パッと火をともす

 顔に、こいつが(かがり火になって)合図するんだ

 この小王国(人間)の全兵士に戦闘用意ってな。すると

 田舎の平民やら都心部の小市民やらが、こぞって

 御大将の、心臓のもとへ馳せ参じる。御大将は、

 こうも部下に整列されちゃ、得意満面意気揚々。この

勇気凛々がシェリー酒のおかげなのよ。だから、銃剣術も

ヘナヘナ、酒抜きじゃ(銃剣を動かすのは酒だ。)それに

学問なんてのも、金の山、悪魔が隠してやがんの、

酒で勢いつけて、引っ剥がさなきゃ、使えない。みんな

酒のおかげ、ハリーが勇敢なのもそう。冷たい血を

生まれつき親父から受け継いでいたが、そう、

荒れて、不毛の、痩せ地のざまだったが、そこに

肥料をあげて、耕してやったんだ、

シェリー酒でたっぷりと、いまじゃあ立派な熱血漢、

英雄だ。俺に伜が千人いて、第一に

教えたいことは、人間の守るべき道として

これ一つ、薄い飲物には誓って口をつけるな、

シェリー酒にわが身を打ち込めってな。

 

                     4幕2場

 

 

Falst. I would you had but the wit: 'twere better

 then your Dukedome. Good faith, this same young so-

 ber-blooded Boy doth not loue me, nor a man cannot

 make him laugh: but that's no maruaile, hee drinkes no

 Wine. There's neuer any of these demure Boyes come

 to any proofe: for thinne Drinke doth so ouer-coole

 their blood, and making many Fish-Meales, that they

 fall into a kinde of Male Greene-sicknesse: and then,

 when they marry, they get Wenches. They are generally

 Fooles, and Cowards; which some of vs should be too,

 but for inflamation. A good Sherris-Sack hath a two-

 fold operation in it: it ascends me into the Braine, dryes

 me there all the foolish, and dull, and cruddie Vapours,

 which enuiron it: makes it apprehensiue, quicke, forge-

 tiue, full of nimble, fierie, and delectable shapes; which

 deliuer'd o're to the Voyce, the Tongue, which is the

 Birth, becomes excellent Wit. The second propertie of

 your excellent Sherris, is, the warming of the Blood:

 which before (cold, and setled) left the Liuer white, and

 pale; which is the Badge of Pusillanimitie, and Cowar-

 dize: but the Sherris warmes it, and makes it course

 from the inwards, to the parts extremes: it illuminateth

 the Face, which (as a Beacon) giues warning to all the

 rest of this little Kingdome (Man) to Arme: and then

 the Vitall Commoners, and in-land pettie Spirits, muster

 me all to their Captaine, the Heart; who great, and pufft

 vp with his Retinue, doth any Deed of Courage: and this

Valour comes of Sherris. So, that skill in the Weapon

 is nothing, without Sack (for that sets it a-worke:) and

 Learning, a meere Hoord of Gold, kept by a Deuill, till

 Sack commences it, and sets it in act, and vse. Hereof

 comes it, that Prince Harry is valiant: for the cold blood

 hee did naturally inherite of his Father, hee hath, like

 leane, stirrill, and bare Land, manured, husbanded, and

 tyll'd, with excellent endeauour of drinking good, and

 good store of fertile Sherris, that hee is become very hot,

 and valiant. If I had a thousand Sonnes, the first Principle

 I would teach them, should be to forsweare thinne Pota-

 tions, and to addict themselues to Sack.

 

maruaile = marvel  Wenches = Beget females   cruddie = coagulated    enuiron = surround    apprehensiue = witty  forgetiue = inventive    settled = stagnant    leane = barren  husbanded = cultivated

 

 

ちょいとひっかけりゃ顔は輝いて、頭のモヤモヤがパーッと晴れて、愉快で生きのいい知恵がわんさか浮かぶ、冷たく淀んだ血も火照って五臓六腑を駆け巡り、身体中の精気がワーッと心臓のまわりに集まってきて、臆病、腰抜けも吹っ飛ぶ、勇気の根源は酒にあると。

 

シェイクスピアは対仏百年戦争(1339-1453)とその後に続く薔薇戦争(1455-85)に材をとって中世的な慣習の残滓を残らず掬い取って作品に反映させました。

 

中世の英国は、先占、割譲、征服、併合を目指す領域国家というもので、国内には地方封建諸侯と新興市民層の対立がありました。

 

この対立を前提として双方の力の均衡の上に何とかかろうじて形を繕っていた不安定、過度的な政治体制下にあったのです。

 

何よりも期待されたのが王のリーダーシップ。

 

期待に応えようとして、王は地方封建諸侯や騎士団の軍事、行政、司法にわたる権力を奪い、大西洋沿岸地域の商業貿易活動の担い手となった新興市民階層を支援していたのでした。 

  

力を得た新興市民層は王の権力集中活動を財政的にバックアップする関係を背景として英国社会は形成されたのであり、エリザベス1世(1558-1603)治世下のロンドンは絶対主義の中央集権的統治機構が力を振って新興市民層の利益を促進していました。

 

一方では市民個人の自由と平等を抑圧するものとしても機能していた、この矛盾と二律背反、理不尽を抱え込んで多くの不一致と対立が起こり、争いが繰り返され、犯罪が生まれ、訴訟行為が起こっていたのです。

 

歴史的現実を出し抜く勇気を得るにはお酒を飲んで燃える以外にない、歴史を踏まえて現実に降り立とうとする手段が巨漢道化のお酒の教義問答で滑稽に示されています。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

http://shaks.jugem.jp/  

 

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われまた新しき天と地を見たり

 

 

4月、われまた新しき天と地を見たり。

 

とは言え、年度の変わり目、みなさん、お忙しくされているでしょう。

 

この国は序列と縦社会重視の国に逆戻りしつつあるような、そんななかでのはたらき過ぎの心配が続きます。

 

上司がああしろこうしろ、こんなプランをすぐつくれ、できなきゃ死ねとか、殴られるとかあるかもしれなくて、で、目が回るように忙しい、6時になっても7時になっても退社できない、もっと遅く9時になっても帰れないとか。

 

職場環境は報道されているような劣悪なところもあるようだから、持ち場を変わったとたんに体調不良になることもあるのではないか。

 

環境不適応というのでなく、企業を維持する上でパワハラもやむを得ないという暗黒界の鬼のごとき社是があったり、不正会計、データ隠しがあったりする。


ほどほどの過重労働はよろしい、お金があり強いのが美しい、この国の政治の度し難い思い違い、不誠実、ごまかし、5月病はなくなりそうにありません。

 

5月に向かういま、暑かったり寒かったりする時期、体調管理だけはどうぞバッチリなさってください。

 

4月も多くの方々が亡くなりますね、ドレミソングをうたっておられた方とか。

 

本願寺派のお坊さんが仰っていましたけどね、往生したら序列、つまり上下関係はなくなり、男でも女でもなくなってしまう、だから法名は短かければ短いほどいいってね。

 

その通り、この理でいくと釈素(shaks)なんていい呼称ではないかと、罰当たりなことを。

 

でもね、私は念仏者ではありませんから、それに、釈素と言ったって、あるがままそのままにシェイクスピアを解釈するなんて、実際にはできません。

 

そんなことは初めから分かっていて、この世のできごとの半分くらいは言葉では説明できない、ちょっと引っ搔いて、分からないところは嗤って誤魔化すしかないのです。


客観の世界なんてないし、説明しようとしても言葉は嘘をつくし、詩と言っても主観の産物だし、偏見と思い込みでこの世にむしゃぶりつくくらいのことしかできないのです。

 

音とか色とかのほうがよほどストレートで純粋な表現媒体ではないのか。

 

それでも言葉にこ゚だわってブログを発信してきてほんとによかった、自分の非力を思い知らされましたから。

 

少し時間が経って読み返すと、知ったような表現や舌足らずな個所があって、赤っ恥の恥っ晒し、あわてて消したり付け足したり、そんなことが許されるんですからね、よかった。

 

こんなことを言うとお叱りを受けるかもしれませんが、老齢者のブログは誰に気兼ねすることなく何でも言わせていただける、大目に笑って見ていただける、それに、具合の悪いところが見つかれば消して足せばいいし、文庫本なんかにしなくてほんとによかった、負け惜しみじゃなくてね。

 

本にすればよほどのことがないかぎり改訂などさせてもらえないでしょう、そのうち廃版になるのが落ちです。

 

ですから、ジュゲムさんに対しては感謝の気持ちが一杯あります。

 

公園の掃除なんかもそう、掃除ばかりじゃなあと考えたことなんてこれっぽっちもありません。

 

お天道様の光を浴びて、草をむしったりチョキチョキやっったり箒を右に左に移動させたりして汗をびっしょりかいて、それはそれは極上の運動になっていますから。

 

先日の身体検査の数値を見て医者が「うん、素晴らしい!」と、公園の掃除のおかげなのです。

 

掃除だけでなく昔を偲ぶ草花や花木再生を目指して「平成に還っておいでよ万葉園」などと、そんな遊び心で竹垣で囲ってみたり、落ち葉堆肥場をつくってみたり、ミミズとの協同作業ということでね、楽しいじゃありませんか。

 

万葉時代の植物の原種は弱く、葉っぱが真ん丸のタチツボスミレは見かけなくなったし、カワラナデシコなんかは絶滅危惧種になっているし、ナデシコと思っているのはことごとくセキチクですからね。

 

いまあっちこっちで咲いている色とりどりの花はほぼすべて外来種、帰化植物、赤、青、黄色、どこに行ってもどぎつい赤、青、黄色、うんざり、きれいではありませんね。

 

色が強すぎて、派手派手、賑やか過ぎて、楚々とした風情がない、愛情を感じません。

 

そこで、まだどこかに密かに可愛らしくニコニコして隠れているんじゃないかと探しに出かける。

 

おお、蘇るか?

 

ところが、目ざとく見つけて、あら、珍しいのがあるわねとかなんとか言って持ち去ってしまう方がおられる、やんなっちまうなあと天を仰ぐが、あきらめたらおしめえよとまた雑木林のなかに見つけに出かける、今度は人に見つからないようにそっと隠して植える、そう、白神山地でガイドさんがやっていたように。

 

せっかく植えたのに、冬枯れちまったかな?

 

いや、根のものなら芽を出してくるんじゃないか、カタバミと一緒に。

 

おっ、芽吹いたか?

 

いや、鳥が運んできたか誰かさんが種を撒いたか、ヒマワリなんかが芽を出してきたり。

 

雑木林の景観美をと言っても、要するに雑草園づくりですからね。

 

そこに生えてきたものを大事にする、それでもちょっと上品な雑草園にしたい、そんな欲があるから、還っておいでよ万葉園は簡単には還ってきません。

 

シェイクスピア朗読なんかもそう、声を出せば心身の代謝、セルフリニューアルにと言っても誰も本気にはしない、ちんころの遠吠え、何を寝惚けたことをくらいのものか。

 

それでもやる、われまた新しき天と地を見たり、公園の掃除は太陽光を浴びながらのストレッチ、万葉園はあの俵屋宗達の雑木林屏風ガーデン、シェイクスピアリ―ディングはこの世の蘇生藥、カンフル剤になると。

 

広く深く考えもしないで、強くなろう、世界一にになろうとうろちょろする者の視野狭窄が目立つ、時間とエネルギーを無駄にして不協和音を奏で宇宙の調和を乱している、罰が当たるんじゃないか。

 

洞察を深めれば、深めなくても、太陽と空気と水と土と緑と食い物が生きる上で必要不可欠なもの、真に価値あるものであろう、弱いもの、消えてしまいそうなものに真の価値があるのだ、そんな命あるものを蘇生させるというスタンスに立てなければ天も歓びようがないだろう。

 

イチジクが枯れていると言うペトロらに対してイエスはこう答えました。

 

 

 神を信じなさい。この山に向かって動き、海に入れと言って、心のなかで疑わず、自分の言うとおりになると信じる者は誰でも、 

 その通りになります。祈って求めるものは何でも、かなえられると信じなさい、その通りになります(Whatever you ask  in

 prayer, believe that you receive it, and you will )。

 

               マルコの福音書11:22〜24

 

   

祈る際の信仰について具体的に教えているのです、Have faith in God と。

 

神は全知全能で、愛に溢れていて、不可能なことはない、そんな神への揺るぎない信頼を告白する、これが祈りの土台であると。

 

山はオリーブ山で、人間には到底解決できない問題を指しています。

 

海は死海で、オリーブ山の頂上から実際に見えるのです。

 

海に入れとは、心と身体を一つにして現実に降り立ちなさいという意味。

 

祈りが届いていなくてもすでに受けています、祈りが達したように振る舞うのが現実に根ざした行動であると。

 

こういう祈りこそ神仏の力を地上にもたらす太いパイプとなって、人間に不可能に見える問題を奇跡として解決してくれるのです。

 

イエスの弟子たちはそのことをよく心得て、私の心が天で行われるように地でも行われるように行動させてください、私の願うのででなくあなたの願いのままにと祈ったのです。

 

朗読も祈りでしょう、シェイクスピアの世界を心と身体を一つにして理解し現実に降り立とうという行為ですから。

 

空念仏を唱えず、絵空事を描かず、わが身を鏡に映して、いや、神仏に照らして、イメージそのままに声と身体を一つにして奇跡の実現を信じるならば、草花が盗まれても、落ち葉堆肥場がゴミ捨て場に間違えられても、それでもやる、めげずに、あきらめずにやる、粘り強く、愚直に、執念深く。

 

仕事が終わらずに家に帰れなくても、目が回っても、願望と夢を自分自身の現実へと代謝させて頑張る、そんな新たな覚悟の4月にしましょうよ。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

http://shaks.jugem.jp/

 

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春眠暁を覚えず−『シンベリン』 2幕3場

 

 

寝呆けた身体を押して出かけた先が熱海の姫の沢自然公園、山肌にハコベ、イヌノフグリ、タチツボスミレ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、カラスノエンドウなどの草花が咲いていました。

 

ベランダでの雑草園づくりにヒントを得ましたが、この季節、盛唐時代の猛浩然のごとくに眠い、気だるくて朝が来ても気づかない、あちこちでコジュケイが啼いているらしい、一晩中雨が降り風がガタピシやっていたから満開の桜の花もかなり散ったんじゃないだろうか、うつらうつら、枕抱えてもうちょっとあと5分くらい夢のなかに。
 

シンベリンの王宮では王さまの先妻の娘イモジェンが眠っていて、その枕もとで楽士たちがうたっています。


 

 

 ほら、ほら、天国の門のところで雲雀が、

 太陽の神様もお目覚めに、

 日輪の馬車を引く馬たちが飲んでいます

 花々のグラスに溜まった朝露を。

 眠っていたキンセンカも金の蕾を開いて

 なにもかもがきれいな夜明け、さあお姫さま、起きなさい、

 起きなさい、起きなさい。

 

               2幕3場

 

 

 Hearke, hearke, the Larke at Heauens gate sings,

 and Phœbus gins arise,

 His Steeds to water at those Springs

 on chalic'd Flowres that lyes:

 And winking Mary-buds begin to ope their Golden eyes

 With euery thing that pretty is, my Lady sweet arise:

 Arise, arise.

 

Phœbus gins = Apollo (sun god) begins   winking Mary-buds = closed marigold buds

 

 

 

クロートンという半馬鹿王子に執拗に求婚され、継母からは毒殺されそうになるなかでひときわ輝きを増すイモジェンの可愛いらしさ、美しさ、気丈夫さは比類なく、歌はその寝姿に似つかわしい。

 

My Lady sweet を描くとき、シェイクスピアは間違いなく夢、希望、願望の対象となるマドンナの幻を追いかけていたのです。

 

最後まで権力者の愚行を描き死を扱ったシェイクスピア、悲劇にも喜劇にも長けた劇作家のキャリアの締め括りがイモジェンの登場する『シンベリン』なのです。

 

いまはもはや悲劇へと進むことはなく、運命と意思の力を以て新しい命を蘇らせるべく死の向こう側を強引にこじ開けて締め括るあたり、『シンベリーン』は不条理な時代を生き抜いた人びとに対するオマージュでもあったでしょうか。

 

国王一座は、室内劇場ブラックフライアーズの賃借契約を取り付け、権利の七分の一を獲得、以後、夏と冬、半野外劇場のグローブ座と室内劇場を交互に使用宮廷でもかなりの演目を上演していました。

 

1609年、45歳のとき、シェイクスピアは154編のソネットを出版し、『シンベリーン』を上演し終えて、ストラットフォード・アポン・エイヴォンに全面引退します。 

 

翌1610年には議会が課税問題で国王と妥協ならず解散、疫病が蔓延してロンドンは死の様相を呈し、劇場は閉鎖されました。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

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