シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
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マーロウ = シェイクスピア説―『ヘンリー6世』(第3部)2幕5場

 

大寒入り、冷たい乾燥した風が鼻と耳を直撃します。

 

みなさん、マスクを、寝るときもマスクを。

  

昨年末に、シェイクスピアの史劇3部作『ヘンリー6世』は大学出の才人クリストファー・マーロウ(Christopher Marlowe、1564-93)との合作であると発表されました。

  

マーロウとシェイクスピアの作品を他の劇作家による作品と比較して、コンピュータで各語の字数や語彙、前置詞の用法や特殊な用語の使用頻度などを調査した結果、対象となった何人かの劇作家のなかでマーロウとシェイクスピアだけが語彙や使用頻度が一致し、しかも一文の平均語数が4.2と同じ数値を示したのだそうです。

 

以前から複数の劇作家の合作あるいは改作であるという説はありましたが、今回の調査で、階級に固有の言い回しと個人の言葉使い、他の劇作家が多用する単語や表現を特定した上で、マーロウが3部作の一部を書いたと結論づけられたようです。

 

第1部は主人公が誰なのかはっきりしませんが、第2部、第3部では多様な性格を有する女性や庶民が対等に向かい合わせられ、国の命運が王によって左右される過程が描かれています。

 

もともと『ヨーク公リチャードと善良な王へンリー6世の真の悲劇』と題された『ヘンリー6世』(第3部)から、27歳の頃にシェイクスピアが書いたせりふ。 

 

 

 このいくさはあけがたの戦いに似ている、

 消えてゆく雲が、明るさを増す光と争い、

 羊飼いが息を吹きかけ指を温める、

 はっきり朝とも、夜ともつかぬ時刻の。

 いまはこっちになびき、勢いを得た海のように、

 潮の流れに押されて、風と争う。 

 今度はあっちになびき、同じ海に押されて、

 風の勢いに退却させられている。

 ある瞬間に、波が勝つ。次の瞬間に風が勝つ。

 いま、一方が優位に立つ。次は、他方が優位に立つ。

 両者は勝利者たらんと奮闘する、胸突き合わせて。

 だが両者とも勝者、敗者の決着がつかない。

 こうしてバランスを保っているこの底なしのいくさ。

 この小さな丘に腰を下ろそう、

 神のみ心のままに、勝利が訪れますように。

 妃のマーガレットばかりか、クリフォードまでが

 私に戦場から離れていろと言った。二人は言い張る、

 私がいないほうが勝てると。

 死んでしまいたい、それが神のみ心なら。

 この世には、苦しみと悲しみしかないのだから。

 ああ、神よ!私にはしあわせな人生に思える、

 貧しい羊飼いの身の上で暮らすことのほうが、

 丘の上に腰を下ろし、いま私がしているように

 日時計の目盛りを巧みに刻みつけ、一つひとつ、

 それを見て時の流れが分かるほうが。

 何分経てば1時間になるか、

 何時間経てば1日の終わりになるか、

 何日経てば1年がひとめぐりするか、

 何年経てば人の一生が尽きるか。

 それが分かると、時間の割り振りができる。

 何時間、羊の世話をすればいいか。

 何時間、休めばいいか。

 何時間、考え事をすればいいか。

 何時間、遊べばいいか。

 何日経てば、雌羊は子を孕むか。

 何週間経てば、母羊は子を産むか。

 何年経てば、羊の毛を刈り取れるか。

 こうして分、時、日、月、年と、

 時がその使命を終えると、

 白髪頭を、静かに墓穴に横たえる。

 ああ!こんな暮らしを何と言おうか?楽しい?素晴らしい?

 サンザシの茂みは心地よい陰をつくって

 羊飼いたちを覆い、無垢な羊の群れを見守る、

 豪奢な刺繍の天蓋がつくる陰よりも

 王たちには、臣下の謀反が恐ろしいから?

 おおそう、その通り。一千倍も居心地がいいだろう。

 つまりは、羊飼いがかじるお粗末なチーズ、

 皮袋から飲む冷たく薄めた酒、

 日ごとの昼寝、爽やかな木陰での、

 心安らかな、まどろみは、

 王が味わう眠りよりは遥かにましだ。

 黄金の杯に注がれる酒肴、

 贅を凝らしたベッドで横になるよりは、

 心労、疑惑、裏切りにかしずかれて。

 

              2幕5場

 

 

Hen. This battell fares like to the mornings Warre,

 When dying clouds contend, with growing light,

 What time the Shepheard blowing of his nailes,

 Can neither call it perfect day, nor night.

 Now swayes it this way, like a Mighty Sea,

 Forc'd by the Tide, to combat with the Winde:

 Now swayes it that way, like the selfe-same Sea,

 Forc'd to retyre by furie of the Winde.

 Sometime, the Flood preuailes; and than the Winde:

 Now, one the better: then, another best;

 Both tugging to be Victors, brest to brest:

 Yet neither Conqueror, nor Conquered.

 So is the equall poise of this fell Warre.

 Heere on this Mole-hill will I sit me downe,

 To whom God will, there be the Victorie:

 For Margaret my Queene, and Clifford too

 Haue chid me from the Battell: Swearing both,

 They prosper best of all when I am thence.

 Would I were dead, if Gods good will were so;

 For what is in this world, but Greefe and Woe.

 Oh God! me thinkes it were a happy life,

 To be no better then a homely Swaine,

 To sit vpon a hill, as I do now,

 To carue out Dialls queintly, point by point,

 Thereby to see the Minutes how they runne:

 How many makes the Houre full compleate,

 How many Houres brings about the Day,

 How many Dayes will finish vp the Yeare,

 How many Yeares, a Mortall man may liue.

 When this is knowne, then to diuide the Times:

 So many Houres, must I tend my Flocke;

 So many Houres, must I take my Rest:

 So many Houres, must I Contemplate:

 So many Houres, must I Sport my selfe:

 So many Dayes, my Ewes haue bene with yong:

 So many weekes, ere the poore Fooles will Eane:

 So many yeares, ere I shall sheere the Fleece:

 So Minutes, Houres, Dayes, Monthes, and Yeares,

 Past ouer to the end they were created,

 Would bring white haires, vnto a Quiet graue.

 Ah! what a life were this? How sweet? how louely?

 Giues not the Hawthorne bush a sweeter shade

 To Shepheards, looking on their silly Sheepe,

 Then doth a rich Imbroider'd Canopie

 To Kings, that feare their Subiects treacherie?

 Oh yes, it doth; a thousand fold it doth.

 And to conclude, the Shepherds homely Curds,

 His cold thinne drinke out of his Leather Bottle,

 His wonted sleepe, vnder a fresh trees shade,

 All which secure, and sweetly he enioyes,

 Is farre beyond a Princes Delicates:

 His Viands sparkling in a Golden Cup,

 His bodie couched in a curious bed,

 When Care, Mistrust, and Treason waits on him.

 

  poise = balance     Swaine = Shepherd      Eane = Give birth      

       wonted = customary     Delicates = Delicacies    Viands = food

    a curious = an ornate

 

 

主人公が誰であるかを観客に明示する明確にな意図を感じさせる独白ですが、ここにもマーロウの筆が一部書き添えられているのかどうか。

 

一部どころか、作品はすべてマーロウのものであるというシェイクスピア=マーロウ説があるのです。

 

シェイクスピアと同年の生まれであること、早くから人気劇作家としての地位を確立して1593年に死去したこと、この年の4月にシェイクスピアの長編詩『ヴィーナスとアドーニス』の刊行許可が下りたこと、俳優としてのシェイクスピアに関する記録が1594年12月から始まっていること、これらの公的な経歴の始まりがマーロウの死と一致すること、これらのことからマーロウの死は実は偽装で、生き延びてシェイクスピアという名前で劇作を続けたというものです。

 

ケンブリッジ大学在籍中から無断長期欠席、無神論者(当時は犯罪)、同性愛者、スパイの嫌疑を掛けられており、当局により逮捕され死刑になる可能性が高まっていた、そのためにパトロンのサー・フランシス・ウォルシンガム卿(エリザベス1世に仕えた国務大臣、秘密警察長官、国内外に情報網・監視網を張り巡らせ、反エリザベス陰謀の摘発に当たった)が中心となって偽装殺人事件を演出、つまり、1593年に居酒屋で喧嘩して刺殺され無縁墓地に埋葬されたということになったが、殺害犯がウォルシンガムの従兄弟であった上マーロウの周囲に舞台関係者が大勢いたため偽装殺人事件が演出され、イタリアに逃げたマーロウはその後シェイクスピアという筆名で執筆活動を続けたという筋書き。

 

マーロウが1593年以降も存命であったことを示す証拠として提示されるのが1599年と1602年にスペインのバリャリッドでクリストファー・マーロー(Christopher Marlor)を名乗る人物が逮捕されていたことを記録する文書、加えて『ヴェニスの商人』(1596)はマーロウの作品『マルタ島のユダヤ人』(The Jew of Malta、1589年?)を種本としていることなど、エトセトラ。

 

とは言っても、文体や完成度に違いがあり、シェイクスピアの複雑な人物造形の才能や散文および弱強5歩格(Iambic pentameter)とそれ以外の韻律を用いた律動転換の技術、主題の設定、ダブルプロットの妙、喜劇作家としての天賦の才能などの痕跡は、マーロウの7本の戯曲には見出せないというのが大方の見方になっています。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読 

http://shaks.jugem.jp

 

 

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