シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
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われまた新しき天と地を見たり

 

 

4月、われまた新しき天と地を見たり。

 

とは言え、年度の変わり目、みなさん、お忙しくされているのでしょう。

 

この国は序列と縦社会重視の国に逆戻りしつつあるような、そんななかでのはたらき過ぎの心配が。

 

上司がああしろこうしろ、こんなプランをすぐつくれ、できなきゃ死ねとか、殴られるとかあるかもしれなくて、で、目が回るように忙しい、6時になっても7時になっても退社できない、もっと遅く9時になっても帰れないとか。

 

職場環境は報道されているような劣悪なところもあるから、持ち場を変わったとたんに体調不良になることもあるのではないか。

 

環境不適応というのではなく、企業を維持する上でパワハラもやむを得ないという暗黒界の鬼のごとき社是があったりするのでしょう。


ほどほどの過重労働はよろしい?金があり強いのが美しい?この国の政治の度し難い思い違い、5月病はなくなりそうにありません。

 

5月病に向かおうとするいま、暑かったり寒かったりするこの時期、体調管理だけはどうぞバッチリなさってください。

 

4月も多くの方々が亡くなりますね、ドレミソングをうたっておられた方とか。

 

本願寺派のお坊さんが仰っていましたけどね、往生したら序列、つまり上下関係はなくなり、男でも女でもなくなってしまう、だから法名は短かければ短いほどいいってね。

 

その通り、この理でいくと釈素(shaks)なんていい呼称ではないかと、罰当たりなことを。

 

でもね、私は念仏者ではありませんから、それに、釈素と言ったって、あるがままそのままにシェイクスピアを解釈するなんて、実際にはできません。

 

そんなことは初めから分かっていて、この世のできごとの半分くらいは言葉では説明できない、分からないところは嗤って誤魔化すしかないのです。


客観の世界なんてないし、説明しようとしても言葉は嘘をつくし、詩と言っても主観の産物だし、偏見と思い込みでこの世を引っ掻くくらいのことしかできないのです。

 

音とか色とかのほうがよほどストレートで純粋な表現媒体ではなかろうかと。

 

それでも言葉にこ゚だわってブログを発信してきてほんとによかった。

 

自分の非力を思い知らされるから。

 

少し時間が経って読み返すと、生意気な表現や舌足らずな表現があって、赤っ恥の恥っ晒し、あわてて消したり付け足したり、そんなことが許されるんですからね。

 

こんなことを言ったらお叱りを受けるかもしれませんが、老齢者のブログは誰に気兼ねすることなく何でも言わせていただける、大目に見ていただける、具合の悪いところが見つかれば消して足せばいいし、文庫本にしなくてほんとによかった、負け惜しみじゃなくて。

 

本にすればよほどのことがないかぎり改訂などさせてもらえませんし、そのうち廃版になるのが落ち。

 

ですから、ジュゲムさんに対しては感謝の気持ちが一杯あります。

 

公園の掃除なんかもそう、掃除ばかりじゃなあと考えたことなんてありません。

 

お天道様の光を浴びて、汗をびっしょりかいて、それはそれは極上の運動になっています。

 

おかげさまで身体検査の数値を見て医者が「うん、素晴らしい!」と、掃除のおかげなのです。

 

掃除だけでなく昔懐かしの草花や花木再生を目指して「平成に還っておいでよ万葉園」などと、そんな遊び心半分で竹垣で囲ってみたり、落ち葉堆肥場をつくってみたり、ミミズとの協同作業で。

 

万葉時代の植物の原種は弱く、カワラナデシコなんかは絶滅危惧種、ナデシコと思っているのはことごとくセキチク。

 

いまあっちこっちで咲いている色とりどりの花はほぼすべて外来種、赤、青、黄色、どこに行っても赤、青、黄色、うんざり、きれいじゃありません。

 

色が強すぎ、派手派手、賑やか過ぎて、楚々とした風情がない、愛情を感じない。

 

そこで、まだどこかに密かに可愛らしくニコニコして隠れているのがあるんじゃないかと探しに出かける。

 

おお、蘇るか?

 

ところが、目ざとく見つけて、あら、珍しいのがあるわねとかなんとか言って持ち去ってしまう方がおられる、やんなっちまうなあと天を仰ぐが、あきらめたらおしめえよとまた雑木林のなかに見つけてきて植える、こんどは人に見つからないようにそっと隠して植える、そう、白神山地でガイドさんがやっていたように。

 

冬枯れたかな?いや、根のものなら芽を出してくるんじゃないか、カタバミと一緒に。

 

おっ、芽吹いたか?

 

いや、鳥が運んできたか誰かさんが種を撒いたか、ヒマワリなんかが芽を出してくる。

 

雑木林の景観美と言っても、要するに雑草園ですからね、生えてきたものを大事にする、それもちょっとお上品な雑草園に、そんなことで、還っておいでよ万葉園は簡単には還ってこない。

 

シェイクスピア朗読なんかもそう、声を出せば心身の新陳代謝、セルフリニューアルにとか言っても誰も本気にはしない、ちんころの遠吠え、何を寝惚けたことをくらいのものか。

 

それでもやる、われまた新しき天と地を見たり、公園の掃除は太陽光を浴びながらのストレッチ、万葉園はあの俵屋宗達の雑木林屏風ガーデン、シェイクスピアリ―ディングはこの世の蘇生藥、カンフル剤であると。

 

広く深く考えることをしないで強くなろう1番になろうと動く者の視野狭窄が目立つ、時間とエネルギーを無駄にして宇宙の調和を乱している、いずれ罰が当たるんじゃないか。

 

洞察を深めれば、深めなくても、太陽と空気と水と土と緑と食い物が生きる上で必要不可欠なもの、真に価値あるものである、弱いもの、消えてしまいそうなものに真の価値がある、そんな命あるものを蘇生させるというスタンスに立てなければ天も歓びようがないだろう。

 

イチジクが枯れていると言うペトロらに対してイエスはこう答えています。

 

 

 神を信じなさい。この山に向かって動き、海に入れと言って、心のなかで疑わず、自分の言うとおりになると信じる者は誰でも、 

 その通りになります。祈って求めるものは何でも、かなえられると信じなさい、その通りになります(Whatever you ask  in

 prayer, believe that you receive it, and you will )。

 

               マルコの福音書11:22〜24

 

   

祈る際の信仰について具体的に教えているのです、Have faith in God と。

 

神は全知全能で、愛に溢れていて、不可能なことはない、そんな神への揺るぎない信頼を告白する、これが祈りの土台であると。

 

山はオリーブ山で、人間には到底解決できない問題を指しています。

 

海は死海で、オリーブ山の頂上から実際に見えるのです。

 

海に入れとは、心と身体を一つにして現実に降り立ちなさいという意味。

 

祈りが届いていなくてもすでに受けています、祈りが達したように振る舞うのが現実に根ざした行動であると。

 

こういう祈りこそ神仏の力を地上にもたらす太いパイプとなって、人間に不可能に見える問題を奇跡として解決してくれるのです。

 

イエスの弟子たちはそのことをよく心得て、私の心が天で行われるように地でも行われるように行動させてください、私の願うのででなくあなたの願いのままにと祈ったのです。

 

朗読行為も祈りでしょう、シェイクスピアの世界を心と身体を一つにして理解し現実に降り立とうというのですから。

 

空念仏を唱えず、絵空事を描かず、わが身を鏡に映して、いや、神仏に照らして、イメージそのままに声と身体を一つにして奇跡の実現を信じるなら、草花が盗まれ、落ち葉堆肥場がゴミ捨て場に間違えられ、ブログが無視されても、それでもやる、めげずに、あきらめずに、粘り強く、愚直に、執念深くやる。

 

仕事が終わらずに家に帰れなくても、目が回っても、願望と夢を自分自身の現実へと代謝させてやる、そんな新たな覚悟の4月にしましょうよ。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読

http://shaks.jugem.jp/

 

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