シェイクスピア朗読

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ヴィクトリア王朝時代のシェイクスピア

   

 

ジャージャージャー、いつまでも暑苦しいんだよね、ミーンミンミンミーン、翅をこすり合わせてよくこんな音を、ツクツクホーシツクツクホーシ、あ、うん、奉仕するのも尽きたか、分かる分かる、ウンヨースウンヨース、運用術?わかんねえ、カーナカナカナカナ、嗚呼悲しくなるね、夏ももう終わり。

 

ヒグラシの鳴き声とともに聴こえてきた28日臨時国会冒頭の衆院解散、仕事人内閣が何も仕事しないのに、森友・加計問題の説明もないのに、国会審議拒否、まさかとは思ったが、こんなわけの分からない解散ができるのは世界でこの国だけじゃないのか、英国ではこんなことはしない、政治の私物化、解散権の乱用、弾道ミサイルをぶっ放したつもりの暴発解散じゃないのカナ、カーナカナカナカナ。

 

ヴィクトリア王朝時代、シェイクスピアを上演する劇場も、上演背景も、ますます手の込んだわけの分からないものになってきました。

 

上演用の台本は、役者の演技を目立たせるために独白をカット、傍白もカット、アクション重視、『アントニーとクレオパトラ』の海戦場面はスピーディーに処理されなければならないのに、荘重なリアル過ぎる舞台装置とアクションのスタイルづくりのためにペースは乱れ放題、頻繁にシーンが変わるために凝った背景を転換するたびに上演が度々中断する事態にも。

 

そうなると、観客が上演に耐えられる長さに上演時間を調整しなければならない。

 

せりふはさらにカットされ、シェイクスピア劇はカットなしでは上演できないという原則が広く受け入れられるようになったのです。

 

そんななかでサラ・シドンズ(Sarah Siddons,1755-1831)とその弟ジョン・ケンブル(John Philip Kemble,1757—1823)の活躍がありました。

 

ケンブルはコリオレーナスが最大の当たり役となり、さらに姉と一緒に『マクベス』を朗詠調で演じてシェイクスピア役者と言われるように。


シャイロックを喜怒哀楽に満ちた人間味溢れる人物として演じた最初の役者はエドマンド・キーンでしたが、喜劇の一部をクローズアップすれば悲劇になるとキーンも観客も気がついたのです。

 

以後『ヴェニスの商人』はもっぱらシャイロックの悲劇として演じられるようになり、この作品が友愛と恋愛を描く弦楽四重奏の喜劇として上演された例を私は知らない。

 

ヘンリー・アーヴィング(Sir Henry Irving, 1838-1905)というシャイロック役者が登場し、共演者エレン・テリー(Ellen Terry,1847-1928)とともに額縁舞台と凝った舞台背景、華麗な装置、カットされた台本によって演じられるようになり、最盛期(1847—1928)のシェイクスピア役者として君臨します。

 

エレンはアーヴィングの相手役を務め、ポーシャやマクベス夫人を演じました。

 

二人は観客の目に訴えた、ということはつまり、せりふを聴いて想像するのでなく、視覚重視の上演にシフトしたということ。

 

観客の嗜好に合わせて圧倒的な人気を誇り、アーヴィングは役者として初のサー(knight)の称号を、エレンはデイム(Dame、knight に叙せられた女性の敬称)の称号を得ました。

 

エレンの息子がロシアのスタニスラフスキー(Konstantin Alekseevich Stanislavsky,1863-1938) と『ハムレット』を共同演出した舞台理論家のゴードン・クレイグ(Edward Gordon Craig, 1872-1966)です。

 

批判する者もいて、シェイクスピアの原典、張り出し舞台、背景のない流動的な場面転換に回帰するという動きも起こりはしましたが、上演の主流は歴史に忠実な衣装やセットを用いて絵画的効果を追求して観客の目を楽しませる、つまり見せる芝居というものであったのです。

 

時間や異なる文化の制約を超越する普遍的な天才としてのシェイクスピア崇拝を生み出したのが彼ら役者とロマン主義文学者たちです。

 

シェイクスピア劇の欠点とされた場所・時間・筋立ての不一致は逆に劇作家の天才ぶりを証明するものと考えられ、ベタ褒めロマン批評のおかげで、シェイクスピアは舞台上で演じられる劇としてでなく書斎で読まれ啓蒙されるものとして、読者の叡智を総動員して解釈されるべき詩作品として崇め敬われる存在となったのでした。

 

読む戯曲としてのシェイクスピアが強調されたことにより、舞台上ではさまざまな矛盾を示すかに見える登場人物をあたかも自立した一人の人格として取り扱う性格批評が起こり、20 世紀の批評や舞台に大きな影響を与えました。

 

忘れてならないもう一つの側面は、英国によるインドやカリブ海諸国、アフリカの帝国主義支配が確立したとき、植民地における言語教育を根幹で支えたのがシェイクスピア劇であり、シェイクスピア役者であったということです。

 

彼らの演技による英語教育のなかから素養に優れた現地人官僚が育ち、ポストコロニアルの時代が訪れたときに彼らは英国本国の言語文化芸術の中核を担うことになりました。

 

ロンドンやストラットフォードで観劇して目を見張ったのは、植民地で育った彼らシェイクスピア役者の活躍ぶりで、最も強烈な印象として残ったのがスワン劇場で観た『タイタス・アンドロ二カス』のアーロン役の漆黒の肌とせりふと動きでした。

 

考えてもみてほしい、土着の言語と文化の伝統を踏みにじられ、宗主国英国の言葉、すなわちシェイクスピアイングリッシュで自らを語るしかなかった人びとの苦悩を、そして押し付けられた異言語を自己表現の武器に転じた彼らの苦闘と栄光の歴史を。

 

彼ら彼女らはシェイクスピアイングリッシュを植民地主義を延命させるものとして糾弾しながらも、シェイクスピアの世界を新たな命の源泉として自らを変革させる境界侵犯を試みたのです。

 

政治は言葉でなければなりません、新たな命を呼び起こす力強い声でなければなりません、響き合う声でなければなりません。

 

あるべき政治システムに思いを巡らすならば、声を響き合わせて議論できない参議院は無用の長物、憲法9条のような国民を惑わすばかりの条文は不要ということになります。

 

国政に参画する議員には言葉を尽くして心からの議論をしてもらわなければならない。

 

内閣府が行政の人事権を握り、権力が国民を監視し、自由かつ多様であるべき政治活動が窮屈な息苦しいものになってきたいま、疑いようもなく私たちの自由度は下がり、平等であるべき分配が一部エリートと金持ち中心に傾いてきている、格差が拡大してきているのです。

 

この状況がよく分からないままにいつの間にか醸成され、行き着くところにまで来てしまった、にもかかわらず、よく分からない、善悪の見定めはつけ難く、正邪の判断もつけ難く、きれいなのが汚く、汚いのがきれいな現実を前にして美的判断もつけ難い。

 

この世はメビウスの帯のごとくにひとつにつながっており、表裏あり、矛盾がある、そんな状況も踏まえた上での最終判断は、真や善の是非ではない、美しいか醜いかで決まるのではないか。

 

目に映るものを信じてはいけない、耳で、声で、美を聴き分けようではありませんか。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読教室                

http://shaks.jugem.jp

 

 

 

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