シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
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死の瞑想

薬や外科手術を用いない療法のことをセラピー (therapy ) と言いますね。そして、癒しが psychotherapy です 。

ハムレットは心を復讐一色に染めて、狂気を装い、復讐の機会を窺いましたが、復讐は人殺しではないか、自分は悪魔に唆されて地獄に引き込まれるのではないかとも考えます。

そうなると、今度は、俺は復讐もできない意気地なしだ、決断できない木偶の坊だ、生きている意味がないとまで自分を追い詰めてしまうことにもなります。

出てきた言葉が、生きるか、死ぬか、それが問題。

呻吟して、死ぬとは眠ること?では、眠った後はどうなるのかと考えて、夢を見る?

さらに苦悩を深めてしまうことになりました。

シェイクスピアはこの堂々巡りするハムレットをどうセラピーするか?

道化ヨリックの髑髏を手に持たせて死を瞑想させるんですね。



ハムレット ああ、ヨリック! こいつのことはよく知っているよ、ホレイショー 。
 のべつ幕なしに冗談を飛ばしていた、気の利いたやつを。
 しょっちゅう俺をおぶってくれて、それがいまじゃ、
 身の毛がよだつ想像しただけで!ゲロが出そう。
 このあたりに唇があって何度チューしたかしれんな。
 お前の皮肉はいまどこにある?
 お前のおふざけは?お前の歌は?お前の駄洒落は?
 テーブルを沸かせていたじゃないか。もう一つも浮かばないか、
 歯を剥き出した馬鹿笑いは?笑い過ぎて顎が落ちたか?
 その面下げて女の部屋に行って、言ってやれ、
 どんなに厚化粧しても、行き着く先はほれこのとおりと言って、
 笑わせてやれ。
                     
                  『ハムレット』5幕1場


HAMLET Alas, poor Yorick! I knew him, Horatio: a fellow
 of infinite jest, of most excellent fancy: he hath
 borne me on his back a thousand times; and now, how
 abhorred in my imagination it is! my gorge rims at
 it. Here hung those lips that I have kissed I know
 not how oft. Where be your gibes now? your
 gambols? your songs? your flashes of merriment,
 that were wont to set the table on a roar? Not one
 now, to mock your own grinning? quite chap-fallen?
 Now get you to my lady's chamber, and tell her, let
 her paint an inch thick, to this favour she must
 come; make her laugh at that.

                

昔、死の瞑想療法を施すときに、アレクサンダー大王を引き合いに出すことがあったようなんですね。

アレクサンダー大王が死ぬ、葬られる、土に帰る、その土から粘土ができる、その粘土でビール樽の栓がつくられると。

シェイクスピアはハムレットにアレクサンダー大王の死を想起させることで、死についての幻想を捨てさせることができたのです。

日本にも死の瞑想というのがありました。只管打坐(しかんたざ)です。

ひたすら座っているだけで、余念を交えず、何も考えない無我の境地で、呼吸一つになってしまう行。

そんなことできる人はいない?いや、いるんですよ、ごくわずかですけどね。

実際やってみると、恐ろしく難しい。

壁に向かって、目を半開きにして周囲を暗くして、意識を眉間に置いて動かさず、何も考えないで、こんな風に言われても、雑念、妄想ばかりが次々に沸いてくるだけで、この形ではどうもうまくいきません。

格好は瞑想しているように見えても、心のなかでは何を考えているやら、知れたものではありません。

何度やってもだめですから、座禅は時間をかけてじっくりやるべきものなんでしょうね。

ですから、せっかちな私には向かない。




そこで、じっと座っていてはいけないんじゃないか、動いていないとだめなんじゃないか、こう思い直して、一時、走禅だとか何とか言って、仲間と一緒に走っていた時期がありました。

走らないもう一つの瞑想法がシュルツ方式。

背筋だけピーンと真っ直ぐに伸ばして、あとはダラ〜〜〜〜ン。呼吸が深く整って、足が重た〜〜〜〜〜〜い、下半身が暖か〜〜〜〜い、とかなんとか、自分に暗示を与えるんですね。

あるいは、露天風呂に入っている〜〜〜〜遠くに山が見える〜〜〜〜〜涼しい風が吹いてくる〜〜〜〜〜葉っぱが落ちてきた〜〜〜〜〜額がひんやりして気持ちいい〜〜〜〜〜と。

意外にも、これ、バッチリ。即効の効き目があるみたい。

ですから、お寺のお坊さんが、木魚をポクポク〜〜〜と叩いて、南無阿弥陀仏〜〜〜と唱えることなんか、手は動くし、口は動くし、リズミカルだし、心地よくお腹に響くし、いいんじゃないでしょうか。

朝晩、仏壇に線香を寝かせて、その線香がじわじわと燃え尽きるまで南無阿弥陀仏を繰り返すなんてことは、私ではなく、私のお爺ちゃんがやっていたことなんですけどね。

お経は、わかるようで、よくわかりません。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、内容はともかく、唱えていればリラックスした脳波に入れ替わって、額のあたりが涼しくなるこんな鼻歌交じりの簡単お作法によって、突っ張っていた意識がなくなり、苛立ちが消え、怒りが治まり、人生を素直にそのままあるがままに受け入れることができるようになるんじゃないでしょうか。

木魚を叩いて声を使う念仏というのは、中国で発明され、日本人が受け継いできたすぐれた瞑想法でしょう。

リズミカルに繰り返していると、手も口も頭も活発にはたらいて、雑念も妄想も消えていくような気がしますけどね。



昔の人は、さまざまな形の瞑想を通して、この世とあの世との関係を滑らかにする術、工夫、知恵を持っていました。

積極的に死の瞑想をすることによって免疫力が高まり、健康も副産物的に維持できると分かっていたのでしょう。

復讐をという囚われがあって、怒り、焦っていたが、大揺れに感情を動かしている自分が嫌になって、どうにもならないと悟ることができたときに、ハムレットは運命を感じたのだと思います。

この身は遅かれ早かれ終わる、この世の手に余るものをあれこれ考えても仕方がない、穏やかな気持ちを少しでも増やそう、命の限界をそのまま受け入れるしかない、シェイクスピアはそのように自分を捉えることができるようになったハムレットを描いてみせたのです。


髑髏を手にするハムレットを持ち出すまでもなくて、自然に寄り添う気持ちにさせるセラピーは、実は特別なことでもなんでもないんですね。

ぜんぶ、日本人なら誰だって、ついひと昔に、お爺ちゃんが実践していたことでした。

お寺で祈ることで、自分の力だけでは生きられないと思い知り、自分を穏やかに包んでくれる大自然の存在に気づいたのです。

地球規模の天災と人災は相変わらず続きますが、雪も溶け始めました。

でも、朝夕はまだひんやりしますね。このくらいのひんやり感が身体にちょうどいいのでしょう。

この身を丸ごと預けられる大自然に癒されてナンマンダブ、ちょうどいい〜〜〜〜〜と唱えながら、今日も、一瞬一瞬を、健康に過ごしてまいりましょう。



                                       シェイク・スピア朗読研究所

                                            所長   釈 素(うちむら としのり)

                                            blog:  http://shaks.jugem.jp/


    






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