人の一生は善と悪をより合わせた糸で織られている、なけなしの美点も奢り昂るならば、美点は鞭打たれなければ絶望に変わる、そんなひと言も添えられている『終わりよければすべてよし』。
一人のフランスの貴族が4幕3場でこんなことを言っているのです、さり気なく。
劇には何が何だかよく分からない、ちょっと不安なところがなければいけませんね、曖昧なところがあってはじめて期待感も高まるというもの、そんな芝居の理屈から殊更にまぎらわしい人間関係と曖昧空間を醸成しているように見える『終わりよければすべてよし』。
けれども、生まれも育ちも申分のない伯爵バートラムが孤児ヘレナと結婚させられるというのは、不合理の極みなんでしょうかね、中世のノーブルな貴族にとっては。
貧しい娘と結婚させられたのを嫌がってる、ちょっと暗い、結婚してもハッピーエンディングにはならないだろう、そんな思い込みもあってか、いつのころからでしょうか、この劇は問題劇あるいはダークコメディーと称されるようになりました。
そんな受け止め方でいいのでしょうか、というのが私の疑問です。
病いを奇跡的に治してもらって王は感謝の気持ちから指輪を与え、好きな男と結婚するがよいと、この王の意を受けて選んだ相手がバートラムだったんですが、いやいや結婚式を挙げて、この男はイタリアに逃げて行ってしまいました。
そして夫から届いた絶縁状、そうは受け取らずに結婚の夢を実現するための条件と受けとめ直して、一歩も退かなわよ、この世の不可能を不可にしてみせると、巡礼姿に身をやつしてイタリアへ向かったのです、ヘレナは。
そして遂に、フィレンチェで巡礼者が宿泊する家の娘のダイアナに婿殿が熱をあげていることを突き止めます。
ヘレナは身分を明かして、こんど夫があなたに言い寄ったらこの指輪と交換して頂戴と言い添え、娘の身代わりとなって暗闇のなかで夫と同衾、あらまあと驚愕する展開に。
これは当時のフランス演劇の常套的な手法でベッドトリックと言われるもの、ブールバール劇(パリのオペラ広場から大通りに並び立つ劇場で演じられる男女の三角関係を扱った娯楽劇)でよく使われていた腹ごなし用のお笑い版なんですよ、当時の観客は心得ていたんでしょうけどね。
その翌朝、郷里からヘレナが死んだという知らせを受けたバートラムはぶったまげて、王の怒りを鎮めるべくあたふたと故郷ロシリオンへすっ飛んで帰ります。
結婚を約束したダイアナを残して帰ってきたこの身勝手男、男を追いかけるヘレナ、続いてダイアナも、この急展開は何が何だかよく分からない違和と不安感を煽ります、期待感もね。
ひれ伏して詫びるバートラムを王が許し、バートラムがまだ幼かったときに提案された某貴族の娘との結婚を勧められたバートラムが指輪を抜き取って王に手渡そうとします、と、その指輪を王が見咎めて、なんじゃ、その指輪はわしが難病を癒してくれた礼にヘレナに与えたものではないかと。
しどろもどろに嘘をつきその場をやり過ごそうとするバートラムの前にダイアナが現われて、指輪を返すから自分のを返して頂戴と騒ぎ立てる、この不届き者めとダイアナが投獄されそうになったところに死んだはずのヘレナが身重の姿で登場。
ダイアナの身代わりをしたまでと告白するに及んでドタバタも一転奇跡出現の場に変じ、指輪も子どもも言われた通り手に入れたから約束通り私の夫になってと、ついでにダイアナも夫を得ることになるのです。
King Let vs from point to point this storie know,
To make the euen truth in pleasure flow:
If thou beest yet a fresh vncropped flower,
Choose thou thy husband, and Ile pay thy dower.
For I can guesse, that by thy honest ayde,
Thou keptst a wife her selfe, thy selfe a Maide.
Of that and all the progresse more and lesse,
Resoluedly more leasure shall expresse:
All yet seemes well, and if it end so meete,
The bitter past, more welcome is the sweet.
euen = plain meete = properly
5.3.
王 一部始終話を聞かせてもらおう、
真相が楽しく分かるように。
そなたがまだ摘みとられていない蕾なら、
夫を選ぶがよい、結婚の費用は私が出す。
察するに、親身の手を貸してもらったおかげで、
妻はその座を得、そなたも娘の身を保てた。
ここまでのあれこれの疑問についても、
いずれゆっくりと解けるだろう。
すべてめでたく収まるのではないか、終わりよければ、
苦い過去は去り、迎えるのは甘い未来だ。
バートラムは深く悔い、詫び、愛を誓い、一件落着、ダイアナも王の計らいで結婚できることになり、二件落着、ハッピーエンディング、よかったよかった、終わりよければすべてよしの采配後、王が口上役となって劇が締め括られます。
で、はたしてどうなのか、暗いのか、問題なのか。
結婚に至るまでは本音と建前、美点と不足と欠点が目につき、あれもこれも思い通りにいかない不安と焦燥がつきまといました。
たかもしれませんが、終わりに至って思い通りになった。
で、これで終わりか。
現実は思い通りに行かない問題を孕んで暗く重苦しく苦痛に満ちた人生、舞台は社会的倫理的な皮肉を効かせてを暗く悲劇的に描かえている。
後半は、ひねりを効いたトッピンパラリノプウ〜的な荒唐無稽なお伽噺風。
しかし両者合わせて、夢が実現する世界、苦い過去が喜劇に変じる世界のメタファーになって行きますね、舞台の余韻としては。
誰かが好きになることは特別のことでしょう、どこまでも自分の気持ちに忠実に、自信と不安と謙虚を胸に秘めて、性を丸ごと肯定して、一続きである恋と愛と新しい命を命懸けで手に入れようとする、必死にね、シェイクスピアにはそんな明るくも逞しい一人の女性の物語の劇化が浮かんだのです。
お伽噺風に家柄や戦争を絡めて男女の営みを描き、性が快楽を生むと同時に子孫を生むというテーマに臆せず切り込んだのです、劇作家は。
バートラムは約束を反古にする不実な男ではあるけれども、ヘレナに試練を与え、ヘレナの忍耐、知恵、勇気に応える天晴れな役を演じさせられているのです、彼があの不届き千万な条件を出さなければヘレナは自分の身体を性の対象として利用することも武器にすることも思いつかなかったでしょう。
シェイクスピアはそんな姑息な策略でしか愛を得られない悲しい女の物語に予想外の仕掛けを施して、秘め事の性をうまく均衡させ昇華させて舞台に奇跡を起こそうとしたんですよ。
映画を観ましたが、2項対立する状況のなかで登場人物は操り人形のようにしか見えない、面白くもなんともない、印象が薄いのは作品解釈が貧相だからです、しあわせを摑むために挑戦的に生きる女性像を造形することなんてできないない、訳が分からぬままに終わってしまうのです、余韻?何も残りません。
身勝手な苦い味のする男が支配する時代はどうやらもう過ぎたんじゃないか、やがて勇気ある女の甘い未来が開かれるか、ならば、女性の勝利を夢見る劇が楽しく上演されることもあるでしょう。
この作品を女性への応援歌に仕上げることができなければシェイクスピアは浮かばれない、シェイクスピア蔑視になるのではないか。(2014.8.9)
Web Graduate School Shaks
Shakespeare Reading Lab.
http://shaks.jugem.jp/