シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
読み書きソロバンができる?ー『ヘンリー6世』第2部4幕2場

 

中国湖北省武漢市から帰国した日本人から新型コロナウイルスによる肺炎の発症者が出て、無症状の人からの感染の可能性が指摘されています。

 

武漢市は、いや中国全土が、最前線の映像によると、ロンドンのペスト流行のとき(1592-4、1603-4、1623年に10万人以上が亡くなった)と同じような状況。

 

2002~03年のSARS騒動の教訓が活かされず、またまた隠蔽したのか、記録は残っているのか、データの読み取りが甘く医療体制を準備し損なったか。

 

浮かれ騒ぐオリンピック風とともに入ってきた新型ウイルス、感染拡大ともなれば平和の祭典どころではない。

 

官邸官僚が差配し各省庁は官邸の下請けになってしまった現状から察するに、国会で真剣な疫病対策議論が交わされるのだろうか、またまた虚偽報告があるのか、情報のコントロールがあるのか。

 

モリカケも、桜も、文書隠蔽、改ざん、出してきても黒塗り、記憶も消えたから何も分からない、潔白なんだから真摯に丁寧に説明したいが捜査中なのでコメントを控える、説明責任を果たしたか否かは国民が判断する?

 

選挙違反、公私混同、異論は聴こえない、排除、言い訳、嘘、ふり、国会も国民も愚弄、こんな異常感覚の破廉恥政権を支持し続ける人たちの感覚こそ問われなければなりません。

 

日本語って議論するのに不向きなんでしょうかね。

 

英語には、敬語がない、男女の使う言葉に違いがない、だから、平等に、熱く、がんがん議論し合えるのか。

 

日本語の場合、上下関係を意識させられ、あろうことか司法まで階級構造に組み込まれて忖度しなければならなくなる、そんな情けない言葉なのか。

 

読み書きソロンを習って身につけるのは浅知恵ばかり、愚かな指導者ばかり登場してくるから、世襲議員が何やらの光を輝かせて当選してくるから、核、環境、エネルギー、格差、食料、領土、公衆衛生の問題について議論しない、できない、貧相な頓珍漢な言葉ばかり繰り返して、自らを貶め、国民を傷つけ、国の品格を落し、地球を壊し続けている。

 

人事で睨みをきかせて7年かけて築き上げた権力構造は、醜い、見苦しい。

 

言葉によって育てられてきた日本でしたが、お友達以外とは言葉を噛み合わすことのできない視野狭窄の政治家によって、この国は滅びて行くのか、そんな思いにも駆られてしまう。

 

私たちに緊張感がなさすぎる、議論することをしない、どのようにしてどのようなエネルギーを確保するか、環境を破壊する元凶はそもそも何か、何が人と人、国と国の間に格差を生むのか、水や食料の質がなぜ問われるのか、お隣りさんとの境はどうなければならないか、見極めがつかないのはなぜなのか。

 

言葉は互いの投げ合いによって強く逞しく美しく洗練されなければなりません、時には異質な言語との激しい打ち合いによって。

 

日本語が3種類の文字から成り立っていること自体特殊な言語体系なのか、特殊な表記法なのか、議論に適さず、考えることを放棄させる言葉なのか。

 

最も古い文字が漢字で、飛鳥後期から奈良・平安時代にかけて音声重視の万葉仮名、平安中期にカタカナとひらがなを誕生させ、敬語をふんだんに織り交ぜて、今日に至った日本語。

 

発声音は、奈良時代までは8つの母音が存在し、平安末期に5母音に減った、江戸時代になるまでエは [je]、オは [wo] だった。

 

慶長14年(1609)にオランダの東インド会社が平戸で貿易を開始、鎖国となってからも交易を継続したので、アルコール、レンズ、カバン、リュックサック、ペンキ、コーヒー、ゴム、コップ、レッテルといったオランダ語が定着。

 

室町後期から江戸初期の交易の相手国であったポルトガルからも、オルガン、タバコ、パン、カルタ、カステラ、ブランコ、チョッキ、ボタン、カボチャ、テンプラ、バッテラなどが流入、定着した。

 

当時のヨーロッパは儀式を重んじるカトリックと聖書中心のプロテスタントが対立していて、プロテスタントが優勢になると、カトリック勢力はアジアに目を向けました。

 

ポルトガル王の要請で東インドに派遣されたフランシスコ・ザビエルは、1549年に鹿児島に到着、他の宣教師たちも日本人に深くかかわり、多くのカタカナ語を残しました。

 

人びとは地域ごとに異なる言葉を用いて話していましたが、寺子屋の普及で文盲がなくなり、世界一の読み書きソロバンのできる民族になった、とは言っても、封建社会の身分は固定し、世襲は残り、上下関係は残り、武士の言葉は相変わらず漢語を用いた文語調でした。

 

明治になって医学用語はドイツ語、鉄道用語は英語、芸術用語はフランス語起源のものが使われましたが、法律も聖書も文語調、シェイクスピアも説明的な長ったらしい翻訳ばかりで、日本語が洗練されることはありませんでした。

 

語彙の成り立ち、語配列の仕方、発声、リズムなど言葉の歴史的変遷を多少とも知るならば、何気なく見ていた語彙に新しい視点が加わり、味わいのある表情が見えてくるかもしれません。

 

ヨーロッパ中世の人びとは、畑を耕し、教会で祈り、外敵が侵入してくれば城壁内に逃げ込み、自由に、気儘に、その土地の言葉を交わして暮らしていました。

 

農民や肉屋、織物屋、煉瓦職人に書き言葉は必要ありませんでした。

 

1066年のノルマン・コンクェスト以降、大量に流入したフランス語の語彙が上品で高尚な香りがしたのでしょうか、王侯貴族、紳士がフランス語を話し始め、これんを見習う者が出てきたために、英語はロマンス語っぽく姿を変えました。

 

語彙は意味を広げ、ニュアンスの違いを伴って変化し、綴り字が変わり、発音が変わり、アクセントが移動して、英語史を形づくることになったのでした。

 

王宮や僧院と無縁な、読み書きソロバン教育を受けることもなかった農民や商人、職人たちは、文字の書ける者たちを蔑み、悪党呼ばわりすることもあったかもしれません。

 

『ヘンリー6世』第2部にこんな場面があります。

 

 

All. God saue your Maiesty.

Cade. I thanke you good people. There shall bee no
 mony, all shall eate and drinke on my score, and I will
 apparrell them all in one Liuery, that they may agree like
 Brothers, and worship me their Lord.
But. The first thing we do, let's kill all the Lawyers.
Cade. Nay, that I meane to do. Is not this a lamenta-
 ble thing, that of the skin of an innocent Lambe should
 be made Parchment; that Parchment being scribeld ore,
 should vndoe a man. Some say the Bee stings, but I say,
 'tis the Bees waxe: for I did but seale once to a thing, and
 I was neuer mine owne man since. How now? Who's
 there?
 Enter a Clearke.
Weauer. The Clearke of Chartam: hee can write and
 reade, and cast accompt.
Cade. O monstrous.
Wea. We tooke him setting of boyes Copies.
Cade. Here's a Villaine.
Wea. Ha's a Booke in his pocket with red Letters in't.
Cade. Nay then he is a Coniurer.
But. Nay, he can make Obligations, and write Court
 hand.
Cade. I am sorry for't: The man is a proper man of
 mine Honour: vnlesse I finde him guilty, he shall not die.
 Come hither sirrah, I must examine thee: What is thy
 name?
Clearke. Emanuell.
But. They vse to writ it on the top of Letters: 'Twill
 go hard with you.
Cade. Let me alone: Dost thou vse to write thy name?
 Or hast thou a marke to thy selfe, like a honest plain dea-
 ling man?
Clearke. Sir I thanke God, I haue bin so well brought
 vp, that I can write my name.
All. He hath confest: away with him: he's a Villaine
 and a Traitor.
Cade. Away with him I say: Hang him with his Pen
 and Inke-horne about his necke.
 Exit one with the Clearke

 

 accompt = account    Obligations = Bonds    Emanuell = Emmanuel

 神と共にあるの意、男の名  proper = handsome

 

                   4.2.

 

一同 国王陛下万歳。

ケイド いやどうもどうも。そのときが来たら金なんかは

 いらねえから、飲み食いはぜんぶ俺の付けにしてやる、それから

 みんなに同じ服を着せてやる、みんな仲良く

 兄弟みてえになって、俺を王様として尊敬するだろう。

デイック まず第一に、法律家連中を皆殺しにしちまおう。

ケイド ああ、俺もそう思う。嘆かわしい

 じゃねえか、罪もねえ子羊の皮で

 羊皮紙をつくってよ。その羊皮紙に何か書き込んで、

 人さまを消そうってんだから。蜂が刺すって言うが、何だろ、

 刺すのは蜂の蜜蝋のほうだろよ。一旦蝋に印を押してみろ、

 俺は二度ともとの俺じゃなくなる。何だありゃ?何者

 だ?

 書記登場。

織物屋 チャタムの書記だ。読み書き

 と、ソロバンができる。 

ケイド おおけしからん。

織物屋 ガキどもに字を書いてみせた。

ケイド 悪党だな。

織物屋 赤い字で書いた本をポケットに入れてやがる。

ケイド なら魔法使いかこいつ。

肉屋 それに、証文をつくる、法廷用の

 文字で書いて。

ケイド 気の毒に。まともそうな男だよな

 見たところ。有罪の証拠がなけりゃ、生かしてやりてえ。

 おいこっちへ来な、じきじき取り調べてやる。おまいさん

 名は?

書記 エマヌエル

肉屋 こいつら本のしょっぱなにそう書きやがる。そいつは

 具合が悪いんじゃねえか。

ケイド おめえは引っ込んでろ。いつもそんな名前を書くのか?

 それともしるしで済ませるのか、善男善女

 並みに?

書記 神様のおかげで、立派に教育を受けました

 ので、字で名前を書きます。

一同 白状したぞ。引っ立てろ。悪党だ

 謀叛人だ。

ケイド 引っ立てろ。縛り首だペンと

 インク壺を首に下げてやれ。

 一人が書記を連れて退場

 

 

シェイクスピアはせりふの向こう側に何を見ていたか、ちょっと歴史を感じさせられる場面。 

 

シェイクスピアが造った語彙や言い回しはたくさんあって、語を組み合わせてフランス語っぽくリズミカルな波をつくり、その波がこちらの思考回路に流れ込み、なにやら立体迷路が広がり、共鳴できそうなイメージを読み書きソロバンさせられて、人間知と人生知が広がり、人間力が深まり、ああいう人、こういう人へと、なりたい自分に大きく変貌して行けるような。

 

そんなことが分かって、シェイクスピアを翻案した作品が世界に一千以上あると言われています。

 

とは言っても、皮相にストーリーを追いかけるだけのものが多く、改作したものを加えるとさらに増えるのでしょう。

 

シェイクスピアの英語を、モダーン・イングリッシュの始まりを、原文を、声を出して読んでみないかぎり、いつまでたってもシェイクスピアに手を届かせることはできないかもしれません。

 

日本語は、発声音と敬語を見直すことによって、少しはまともな物言いのできる言語に変えられるのではないでしょうか、シェイクスピアと発声音を通してつき合うことによって。

 

 

2020年冬季シェイクスピア朗読教室のお届け
臍下丹田呼吸法で声トレし、英語の歌1曲をうたった後、劇中でうたわれる歌(バラッド)とソネットの抜粋を、私の日本語訳と対照させながら会読する教室をお届けしたい。モダーン・イングリッシュのはじまりの様相とシェイクスピアの理解を深めていただくのが狙いですが、英語力を問うものではありません。3回シリーズ。ご希望の向きは行政施設や談話喫茶室等の会場を確保し、3回分の日程を決めてご連絡を。『お気に召すまま』を翻訳で読んでおいていただくとより理解が深まるでしょう。初回にお一人3,000円いただき、資料と引き換えます。別途交通費(実費)。滞在時間は10:00〜12:00、または14:00 〜16:00。人数は会場の規模により増減するでしょう。申込み方法は電話、メール、またはファックスで。

 mail: shaks1564@gmail.com 

 tel & fax: 049-267-0248            
何らかの事情で英語学習ができずに悔やんでおられる方、社会人入試、中・高・大学・大学院入試、編入試、学部試験等の英語で四苦八苦されている方、上記同様の要領で痒いところに手が届くよう懇切丁寧に対応します。教科書、過去問、必要な教材(中学生向き英字新聞など)をご用意ください。

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読教室

http://shaks.jugem.jp/

 

| - | 08:23 | comments(0) | - | pookmark |
毎日が雨降りだから、でもー 『十二夜』5幕1場

 

ビーン(been)は、往って、帰って来て、いまここにいるの意、なんてことにはならなくて、ゴーン(gone)と往ってしまって、もうここにはいない、レバノンにいる、こんな事件で幕開けした2020年。

 

桜だの、IRだの、保釈中に逃亡だの、権力や地位を持つ者が好き放題のことを。

 

それにしても、旅券を4通、そのうちの鍵付きケースに入ったフランスの旅券を持っていて、クリスマス用楽器ケースに隠れて関西国際空港から記録を残さずに出国、入国時にはフランスの旅券を使った?

 

レバノン外務省の声明によれば、この脱出劇はすべて個人的な事柄であり、合法的である?

 

何なんだ、これは。

 

日本の長期政権の緩みが日本の司法全体にも及んでこんな間抜けなj事態を生んだのか。

 

何が起こってもおかしくない雨降りの状況が続いていて、でだしから危うい令和2年、早や1週間がを過ぎようとして、きょうはもう1月6日。

 

1601年の1月6日、ロンドンの宮廷では、シェイクスピアの『十二夜』が初演されていました。

 

十二夜とは、クリスマスから12日目のエピファニー(Epiphany、顕現日)、つまり、キリスト生誕に際して東方の三博士がベツレヘムを訪れた夜のこと。

 

『十二夜』の主題歌と見なされているのがフィナーレでうたわれるフェステのバラッドです。

 

男女ともに貧しい、仕事にありつけない、恋焦がれる人に真心のこもった祈りを捧げたいが、無職無収入の身、たとえ嘘をついて結婚しても、心休まらず、酒を浴びるばかり、そんな切ない状況をうたった酒場歌。

 

当時うたわれていたのか、シェイクスピアが手を加えたのか、あるいはシェイクスピアのオリジナルナンバーなのかは不明です。

 

 

 When that I was and a little tine boy,

 with hey, ho, the winde and the raine:

 A foolish thing was but a toy,

 for the raine it raineth euery day.

 

 But when I came to mans estate,

 with hey ho, &c.

 Gainst Knaues and Theeues men shut their gate,

 for the raine, &c. 

 

 But when I came alas to wiue,

 with hey ho, &c.

 By swaggering could I neuer thriue,

 for the raine, &c.

 

 But when I came vnto my beds,

 with hey ho, &c.

 With tospottes still had drunken beades,

 for the raine, &c.

 

 A great while ago the world begon,

 hey ho, &c.

 But that's all one, our Play is done,

 and wee'l striue to please you euery day.

 

   swaggering = bullying  tospottes = drunkards


    俺が餓鬼の頃にゃ、

 ヒャッ、ホー、風吹き雨が降る。

 馬鹿なことしても知らん振り、

 毎日が雨降りだからさ。

 

 それが大人になってみりゃ

 ヒャッ、ホー、風吹き雨が降る。

 ワルにもドロにも締め出された、

 毎日が雨降りだからさ。

 

  嫁とる頃ともなりゃ

 ヒャッ、ホー、風吹き雨が降る。

 法螺吹いてちゃ食ってはいけない、

 毎日が雨降りだからさ。

 

 寝床にもぐってみりゃ

 ヒャッ、ホー、風吹き雨が降る。

 酔った頭がまだふうらふら、

 毎日が雨降りだからさ。

 

 だいぶ前だよこの世の始めは

 ヒャッ、ホー、風吹き雨が降る。

 それもよいよい、芝居はおしまい、

 日毎励んでご機嫌伺いましょう。

 

 

シベリウスの歌曲「シェイクスピアの十二夜による2つの歌」のうち、第1曲「来たれ、死よ」は2幕4場で公爵が自分の行き場のない恋心を慰めようと道化を呼んでうたわせる歌、第2曲「ヒャッ、ホー、嵐の中でも雨の中でも」は締めくくりのこの小唄、雨風に震える者がうたうのにふさわしい曲。

 

後に、『リア王』3幕2場の嵐の場面でもうたわれました。

 

  He that has and a little-tyne wit,

  With heigh-ho, the Winde and the Raine,
  Must make content with his Fortunes fit,
  Though the Raine it raineth euery day.
  
  頭に知恵の足りない奴は、

  ヒャッホー、風吹き雨が降る、

  運が悪いと諦めな、

  毎日が雨降りでもさ。

 

 

宿無しは野宿が当たり前で、風と雨の辛さが身に染みる生活を送らなければならない、避難所に行っても断られる。

 

けれども、ある場所を訪れるなら、なんとか気持ちを奮い立たせて夢を見ることができる、雨が降ろうが、風が吹こうが。

 

そう、劇場、芝居小屋、ここしかない、パン一切れの値段の木戸銭で入れてもらえる。

 

引きつった頬を緩ませてくれる、楽しませてくれる、そんな思いからシェイクスピアの一座は興行に励んだのでしょう。

 

オーシーノーがオリヴィアを見限り、あらまあと言う間にヴァイオラが恋の情けの女王様になることは、オリヴィアがヴァイオラ扮するシザーリオでなく瓜二つの兄セバスティアンと結婚してしまうのは、絵空事の芝居の出来事としても可笑しな話なんだけれども、それもこれも思い人への胸焦がす恋、それが結婚の夢、観客は誰しもこの見事に成立した二組のカップルに喝采を送ったはずなのです。

 

恋の縺れと結婚の落ちを観客は自然の成り行きとして祝福した、それが『十二夜』という芝居だったのでしょう。

 

劇受容の核心部分がここにあるのならば、一見捉えどころのない劇に見えても、問題劇なんかではない、この世に居場所を見つけよう、あるいはつくり出そうともがき苦しんでいる登場人物たちに感情移入し、想像力でカバーしてあげるならば、これは紛れもない傑作喜劇、十二夜の意味をもう一度学び直してもいいのではないか。

 

イエス・キリスト(ラテン語でJesus Christus)誕生の物語(ルカによる福音書2章1〜7節)によれば、イエスが生まれたのは住民登録のためにヨセフとマリアがベツレヘムというダビデの町に出かけていった旅先、あたりはもう真っ暗、断られるばかりでもう宿はない、身重のマリアは月が満ち、身を横たえられる場所は牛やロバのいる家畜小屋しかない。

 

東方の三博士(占星術の能力を持ち合わせる者で、異教の国、放浪の地に住む人びとの代表者)は星に導かれてベツレヘムを訪ね、布にくるまれて飼い葉桶で寝ている赤ん坊に礼拝して貢物を、こんなストーリーを記念する日がクリスマスの12日後に当たる1月6日の夜なのです。

 

アダムの子カインは、弟のアベルを殺して、神罰を逃れてエデンの東、ノド(つまり神に呪われた流浪の地)に住んだが、どこにも居場所がない。

 

だから、自分を守るために、貪り、奪い、町を建て、権力者になろうとする者は、こんな放浪するカインの生きざまを受け継ぐ者とされて、神に背く征服者となったのです。

 

そんな放浪の地、つまり東方からやってきた3博士は、ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げたのです。

 

黄金はイエスが諸王の王と呼ばれる存在であることを世界に示した、乳香は樹液からつくられた高価な香料で、イエスが神から油を注がれた者(キリスト)である、没薬は死者を葬るときに防腐剤として塗られるもので、世の罪を負い、神の子として死に、この世に復活することをそれぞれ意味しています。

 

そう、3博士は神から見放された地からやってきて、イエスの苦難の生涯を象徴するにふさわしい贈物を捧げたのです。 

 

救い主は飼い葉桶に寝かされた小さな赤ん坊である、ルカはわざわざこんなイエス誕生のエピソードを記録に残し、後世の人びとの忘れ得ぬ記憶としたのです。

 

宿屋も仮の宿屋も満室だと断られて、困り果てた二人はたまたま見つけた家畜小屋に入り込んで体を横たえたとは、つまり、この世にキリストを迎える場所はない、家畜小屋しかない、救い主を受け入れない人間ばかりで、飼い葉桶だけがイエスを受け入れた、ルカはそういう風に教えたのです。

 

非情な暗闇のなかで生まれた幼子だったが、光を放っている、闇のなかに光る飼い葉桶こそがキリスト教では救済の歴史を語る上での出発点になるものなんですね。

 

私たちは無力ですが、飼い葉桶くらいにはなれる、飼い葉桶になってイエスを迎え入れることはできるのです。

 

神は貧しい家畜小屋にイエスを送り、このパラドクシカルな関係性のなかに私たちは神の愛を感じとることはできます。

 

そのようなストーリーに私たちを巻き込む神様は大変な皮肉屋さんなのでしょう。

 

ユーモア大好きなお方、偉大なストーリー・テラー、愉快なエンターテイナーなんですね、きっと。

 

闇が深まりつつあります、どうか新しい年があなたに天来の光を届けてくれますように、あなたのやさしさがあなたの周囲を温かく包んでくれますように。

 

 

 

 2020年冬季シェイクスピア朗読教室のお知らせ          
声トレを行ない、英語の歌1曲をうたった後、劇中でうたわれる歌(バラッド等の小唄)とソネットをファースト・フォリオから抜粋し、私の日本語訳と対照させながら会読、モダーンイングリッシュのはじまりとシェイクスピアの理解を深めます。

回数、月3回。ご希望の向きは行政施設等の会場を確保し3回分の日程を決めてご連絡を。

英語力を問うものではなく前準備は不要ですが、あらかじめ『お気に召すまま』を翻訳で読んでおいてください。

お一人宛て3,000円をいただき、教材と引き換えます。別途交通費(実費)。

滞在時間は10:00〜12:00、または14:00 〜16:00。

人数は会場の規模により増減するでしょう、マンツーマン方式もOK。

申込み方法は以下の通り、電話、メール、またはファックスで。

 mail: shaks1564@gmail.com 

 tel & fax: 049-267-0248              
なお、社会人入試、高校・大学・大学院入試、編入学試験、学部試験等の英語で四苦八苦されている方、上記同様の要領で痒いところに手が届くように丁寧に対応します。過去問、教科書等をご用意ください。

 

 

 

シェイクスピア朗読教室

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| - | 08:16 | comments(0) | - | pookmark |
フェステの歌−『十二夜』2幕4場

 

ローマ法王の呼称が来日をきっかけに教皇と改められました。

 

新教は法王、旧教は教皇と呼んでいたようですが、これでいいんですね、スッキリして。 

 

教皇は、どんな複雑な状況下にあっても言葉や行動に偽りがあってはならないと説かれました。

 

枯れ葉舞う弁天の森を散歩してもひたぶるにうら悲しくなるのは、ズルして優勝し続ける横綱と嘘をついて長期政権を維持し続ける為政者のためか。

 

金銭や権力、地位、名誉に欲のない人はいる、ズルせず、嘘をつかず、風吹くままに飄々と漂ってはいるが、歌をうたうことはできる、そんな人が。

 

『十二夜』は『お気に召すまま』と並んで劇中歌が多く、浮浪者風情の男が実に巧みに小唄(バラッド)をうたって劇の主題に絡みます。

 

道化(Clown)フェステが、うたって恋の縺れという複雑な状況にかかわるのです。

 

オリヴィア姫の侍女マライアによれば、屋敷を留守にしてどこかよそをほっつき歩いているが、どうやらオリヴィア邸とオーシーノー邸との間を往き来していたらしい。

 

2幕4場でオーシーノーの求めに応じてうたう古謡は失恋の歌で、公爵の片思いとその思いに応えないオリヴィア姫の無慈悲を皮肉っています。

 

 

 Come away, come away death,

 And in sad cypresse let me be laide.

 Fye away, fie away breath,

 I am slaine by a faire cruell maide:

 My shrowd of white, stuck all with Ew, O prepare it.

 My part of death no one so true did share it.

 Not a flower, not a flower sweete

 On my blacke coffin, let there be strewne:

 Not a friend, not a friend greet

 My poore corpes, where my bones shall be throwne:

 A thousand thousand sighes to saue, lay me ô where

 Sad true louer neuer find my graue, to weepe there.

 

   Come away = Come hither   Ew = Yew spring  

 

                                 2.4.

 

来てくれ、来てくれ死よ、
この身を糸杉の棺に横たえてくれ。

飛んで行け、飛んで行け息よ、
私は無慈悲な乙女に殺された。
白布を、イチイの枝で、包んでくれ。
死んだらみんながそうしてもらうように。
どんな花も、一輪の花も
私の黒い棺に、投げないでくれ。

友だちも誰も、覗かないでくれ
私の屍を、骨が投げ込まれたところを。
溜息もつかないでくれ、そのままに

あの娘が私の墓を見て、泣くこともないから。

 


歌詞のなかの男はいま風に言えばギター片手の流れ者、女は流れ流れての飯炊き女か、ともに世間にかかわりを持てずに人知れず消えて行くしかない、そんな嘆き節。

 

でありながら、惹かれた女に抱く束の間の甘く淡い夢であり、シェイクスピア劇の小唄のなかでは最もよく知られているもの。

 

そんな歌をうたうフェステは道化としてちょっとはみ出しているかもしれません。

 

たとえば4幕2場、マルヴォーリオが閉じ込められた地下室は地獄のように真っ暗、トーパス牧師になりすますには声色だけで十分、であるにもかかわらず、フェステは髭とガウンで変装しています。

 

トーパスになったり、地声を出して道化になったり、灯りと紙とインクを持ってきてやると言い残してうたう小唄から分かるのは、フェステは中世の道徳劇に出てくるヴァイス(Vice、悪魔)の後裔であるということ。

 

ヴァイスは驢馬の耳のついた帽子を被り、長い上着を羽織り、薄い木片の短刀をぶら下げている、そんな格好でマルヴォーリオを悪魔に憑りつかれたきちがいとからかうあたり、フェステは通常の職業道化の範疇を越えてエンターティナーとして振る舞っています。

 

心づけをもらい、歌やお笑いで盛り上げ、変装して悪戯に参加し、表向き道化という役割でありながら、はみ出しのアウトロー(outlaw、無法者)でもある。

 

そんなフェステの魅力は、運命の女神など意に介さずに自立した独自の世界を持ち、自由気儘に暮らす、しかも歌もおふざけも玄人肌、そんなところにあるのか。

 

フェステは明らかに当時の大道芸人なのであり、シェイクスピア時代の典型的な放浪者(wanderer、drifter、vagabond)像から生み出されものなのです。

 

 

2019年度冬季シェイクスピア朗読教室のお知らせ          
声トレを行ない、英語の歌1曲をうたった後、劇中でうたわれる歌(バラッド

等の小唄)と抜粋したソネット(十四行詩)を私の日本語訳と対照させながら

会読します。

回数は月3回、滞在時間は10:00〜12:00、または14:00 〜16:00。

ご希望の向きは行政施設等の会場を確保し3回分の日程を決めてご連絡を。

英語力を問うものではありませんが、『お気に召すまま』を翻訳で読んで

おいてください。

お一人3,000円を初回にいただき教材と引き換えます。別途交通費(実費)。

人数は会場の規模により増減するでしょう。マンツーマン方式もOK。

申込み方法は以下の通り、電話、メール、またはファックスで。

 mail: shaks1564@gmail.com 

 tel & fax: 049-267-0248              
なお、高校・大学・大学院入試、社会人入試、編入試、学部試験等の英語学

習で四苦八苦されている方、上記同様の要領で痒いところに手が届くように

対応します。過去問、教科書等をご用意ください。

 

 

シェイクスピア朗読教室

http://shaks.jugem.jp/

 

 

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