シェイクスピア朗読

シェイクスピアについて徒然に綴るブログです
指輪−『ヴェニスの商人』 3幕2場

 

 

『ヴェニスの商人』の状況設定から見えてくるのは、国、人種、言語、宗教の異なる人びとが暮らす開かれた市民社会でありながら、裏にどす黒く潜むムラ社会的側面

 

法的要求が却下されることはシャイロックにとってはヴェニス市民としての存在が否定され、利益を守ってもらえないことになります。

 

見かけ倒しの社会であることを見誤ったばかりに、よそ者がヴェニス市民の命を奪おうとしたとして法により全財産を没収され、キリスト教への改宗まで命じられる事態に。

 

この外国人差別法に重ねて挿入される箱選びのシ−ン。

 

こちらもうわべの美と富を欺く騙しのお宝探し、うわべの恋はどこで生まれる〜♪と歌で誘導し、ポーシャはまんまと父親の遺言通り愛するバサーニオと結婚することになりました。

 

は気になるのは、何もかもあなたのものよと言ってポーシャ指輪を差し出すこのせりふ。

 

 

 

 何よりなのは、素直な心

 何もかもお心のままにあなたに従います、

 あなたはご主人さま、支配者、王さまです。

 この身も、持ち物も、あなたのものに

 なりました。今までは私があるじ

 この屋敷の、召使たちの主人、   

 自分自身の女王でした。でも今からは、今はもう、

 この屋敷も、召使たちも、それに私自身も

 あなたのもの、ご主人さまのもの、この指輪と一緒に、

 お捨てになったり、失くされたり、あげたりしたら、

 あなたの愛の燃え尽きたしるし、

 どこまでも責め立てますわ。

 

                3幕2場

 

 

 Happiest of all, is that her gentle spirit

 Commits it selfe to yours to be directed,

 As from her Lord, her Gouernour, her King.

 My selfe, and what is mine, to you and yours

 Is now conuerted. But now I was the Lord

 Of this faire mansion, master of my seruants,

 Queene ore my selfe: and euen now, but now,

 This house, these seruants, and this same my selfe

 Are yours, my Lord, I giue them with this ring,

 Which when you part from, loose, or giue away,

 Let it presage the ruine of your loue,

 And be my vantage to exclaime on you.

  

  conuerted = transfeered   But =­ Just

 

 

 

こんなことを言われたら男は胸が震えるんじゃないか、とは思う。

 

でもね、そんな感じではあるけれども、何かしらおっかなくはないだろうか。

 

誓いを立てて指にはめてもらった指輪は肉の一部よとポーシャは言う。

 

指輪は元来キリスト教徒の習いで、女性にとっては愛の力、女心の尊さと男心の面目に。

 

ところが、指輪をはめられたおかげで、終幕、バサーニオに雨あられと降り注ぐ非難の刃。

 

しあわせを固定化しようとして災難を招きかねない指輪、そんなものを男は欲しがるものだろうか。

 

婚約指輪への女性の価値観として、人生に彩りと輝きを添える、二人の気持ちの証、だから形にして残したいのよと思うのだろう。

 

女性は口を揃えて指輪は契約だとおっしゃるが、でもね、男はそうは思わないんじゃないか。

 

婚約指輪に対する男性の価値観は、そう、区切りとして、けじめとして、必要かな、でも、自由が拘束されるようで、もらってもどこかにしまっておこう、これが本音ではないのか。

 

 

 

雑木林の落葉には温もりがある、色が素晴らしい、形がいい、表を見ても裏を見ても飽きがこない。

 

うらを見せおもてを見せて散るもみぢ、貞心尼が避けがたい別れが哀しいともらしたときに良寛(1758〜1831)が声にした一句です。

 

表も裏も隠さずにありままそのままに生きてきたから思い残すことは何もない、しあわせなんだよ、おまいさん、嘆きなさんなと。

 

人は誰しも人生という舞台で一役演じ終えれば引っ込まなければならない。

 

格好いいところは見てもらいたい、みっともないところは隠しておきたい、恰好いいところはこの世におさらばしても消さずに残したいとする生き様の多い世の中。

 

落葉には、上手く散ろうという考えはない、生きながらすでに死んでいる軽やかな気分?、もはや化粧もできないし衣を着ることもできない素のままに風に揺られるがままに散っていこうという潔さが。

 

それでいて冷たくはなく、散り落ちた落葉にはぬくもりがあり、指輪ならぬ赤や黄、金色に染まる色気があります。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読 

http://shaks.jugem.jp

| - | 11:39 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平和的経済活動 

 

 

シェイクスピアの44作品のうち17作品に共作者がいたという研究結果が発表されました。

 

史劇3部作の『ヘンリー6世』は同時代同年齢の劇作家クリストファー・マーロウ(1564-93)との共作でした。

 

当時劇作および劇の上演はいまの娯楽映画制作と同じで、唯一最大の経済活動になっていましたから、公演の失敗は許されることではなく、有能な者との共作は当たり前と言えば当たり前のことでした。

 

グローヴ座の若き経営陣も有能でしたが、その周囲にも法曹学院関係者や大学出の才人と呼ばれる劇作家がひしめいていて、他の劇団のように四分五裂することはありませんでした。

 

ガバナンスがしっかりしていたのです。

 

経済活動を神仏などの象徴に依拠して行うこともありまね。

 

この世の秩序はこれこれこの通り、いま自分たちの置かれている状況はこうだ、この理解を基に神や仏に喜んでもらえるような平和的な経済活動を行ないましょうというもの、カルト集団ではなくてね。

 

如実知見という言い方は、仏に出逢い、自分に出逢い、強欲な自分に気づかされることを言います。

 

私たちは百八煩悩のかたまりであるとは分かっていても、頭で分かるのと、心身を蝕む物欲への執着を、ひしひし、ひりひり、しみじみ、ありありと分かるのとでは意味が違ってきます。

 

鏡の前に照らされる自分を見るのと神仏に出逢って自分に気づくのとでは大違い。

 

人それぞれの思惑で経済活動を行なうなかで神や仏に出逢うことになるのですから、信仰とか信心とかいうのはごくごく個人的なものと言わざるを得ません。

 

私たちはこの世に生まれこの世に死んでいく、この世がすべてだから、少数の仲間内だけで自由に何か利のあることをと思惑一杯に考えがち。

 

自分たちだけが儲かろうとするのは妄想に過ぎず、現実逃避でしかありません。

 

この世がすべて、競争がすべて、負けれません勝つまではという競争原理主義は妄念の何物でもないでしょう。

 

そんな妄念で突っ走る経済活動がうまく行くはずがありません。

 

神仏が光を当てる相手は、地上であれどこであれ、これこれの条件を満たして勝者に限られるなんて、そんなことはあり得ないことですよね。

 

こういう悪しき妄念は払い浄められなければなりません。

 

神仏は、平等に、無条件に、あらゆるもの、命あるもの、生きとし生けるものに光を放ち、傍にあり、貧窮にあれば負ぶってもあげようという存在でなければなりません。

 

ところが、ダーウィンの進化論の背景には人間が進化のいちばん頂点にあるという考え方がある

 

自ら耕してつくり出したものを食し、仲間と倫理・道徳・ルールをつくって、それに応じて清く正しく美しく生きようとする私がいて、下に猿などのちょっと知恵足らずの哺乳類がいて、その下に四本足の獣類がいて、鳥類がいて、魚類がいて、一番下に原生動物のアメーバーという植物だか動物だかわからない生物がいる、このように考える。

 

霊的に一番高いところに自分がいて、自分に近ければ近いほど知的で論理的で、命の価値は霊的、知的、論理的に高くなり、自分から遠ざかれば遠ざかるほど低くなり、自分から遠くにあるものほど食しやすくなり、そんな人間本位のハイアラーキーをつくって、学問、芸術、スポーツ、そして経済活動の文化レベルで、高いとか低いとか言って精進しようとしたり、修業したり。

 

高く金色に輝くところに大いなる生きる価値を置いて自己を評価し他人を評価し、自分に近い人ほど評価は高くなり、遠ざかれば遠ざかるほど人の価値は低くなる、そんな風に、生きる価値を他の国や人との距離で測る。

 

よく分からぬ経済用語で飾り立て、強くなって、勝つ、勝ち抜いて、世界一になって、金色に輝く。

 

起こりそうにもないことを神懸かりで起こそうとする博打的手法、手段を選ばぬあくどさ、傲慢さ。

 

経済摩擦、経済格差はひとまず脇に置いて強引に突き進む、けれども、キンピカ求めてしのぎを削るが、どんなに身を削っても勝てない、世界一にはなれない。

 

勝てないから欠落感で空しくなり、敗残者意識に苛まれる、不満嵩じて不安になり、不足と不安、恐怖が脅迫観念となってどこまでも追いかけてくる

 

あらゆる命によって私たちの命が成り立っているのであれば、共に手を合わせてこの身一つでしあわせ、ありがたいと思わなければならないのに、そういうことにはならない。

 

第一、自分がこうして生きているということに対する感謝の気持ちが湧いてこない。

 

生きるための最優先課題は何かと言えば、命あるもの、命あるものとの共生、空気との対話、水との対話、土との対話、緑の樹木との対話であるにもかかわらず、多くの余計なものが絡まってくる、あるいは鈍感で無知なあまり何が感謝の対象になるのか分からない。

 

何やらに尊崇の念を抱くなどと大言壮語されると、自分が何なのかさらに分からなくなり、国というのも分からなくなり、余計なものばかりになる。

 

余計なものからは離れなければならない、絡まり付く余計なものを引き剝がし、突き放して、よく見極めなければならない。

 

そのためには、外に、見晴らしの効くフィールドに出るほかありません。

 

微風に吹かれて、時には強風に煽られるかもしれないが、神仏に出逢える場に

 

グローバル化、多様化の波に洗われて多数派が少数派に転じるんじゃないかと恐怖して不安を倍加させる者が多すぎます。

 

見てごらんなさい、繰り返される世論調査が示す「よく分からない」層の増加ぶりを。

 

人のありようも国の行く末もよく見えていないのです。

 

戯曲の共作者云々でお分かりのように、シェイクスピアの時代には個人というものがまだ確立していませんでした。

 

国家というものもまだ確立していませんでした。

 

英語文字の表記法も確立していなかった、そう、英語は、チョーサーでなく、シェイクスピアがモダーンイングリッシュに増殖させてくれたのです。

 

そんなよく分からない時代に、よく目の見えたらしいシェイクスピアは何を見ていたか。

 

シェイクスピアに出逢い新しい自分に出逢おうとしておられるあなた、何がどう変わろうと如実知見。

 

神仏に出逢い、自分に出逢い、盲目で欲の皮を突っ張らせている自分の姿を知ることが、この世を厳しくやさしく見極めることができるのです。

 

新しい自分に出逢って奮い立つ者は何も怖れない、立ち上がって雄々しく戦えるのです、未来の展望を開くために。

 

何と戦うって?

 

決まっているでしょ、命を損なう悪しきものと戦うんですよ、命を汚すものと。

 

競争原理主義社会を推し進めているのが悪しき経済であり、それを放任しているのが悪しき政治です。

 

空気を浄化し、水を浄化し、土を浄化し、緑を育て、食べものを浄化する、そのことが持続可能な平和志向の経済活動というものではないんですか。

 

私たちの暮らしを真に命あるものにする経済活動を。

 

私たちの生きるしあわせはその輝きのなかに。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読                

http://shaks.jugem.jp

| - | 14:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
シェイクスピアのテクスト

 

 

不確定性この上ない物言いが広がっていますね。

 

子ども手当をそっくり防衛費に回せば軍事費の国際水準に近づく、国家戦略として日本独自の核を保有すべきだ、こんなことを言っていたかと思うと、非核三原則をしっかり守っていかなければならない、子育ても防衛政策も重要であると。

 

真意を測り難いフィリピンのデュテルテ大統領などの物言いも、バランス感覚というか、二枚舌というか、外交の多角化というか、深謀の末の一言なのか、そうかもしれなくて見極め難いが、カオス化した時代に似つかわしいと言えるのかもしれません。

 

こんな物言いが飛び交う世相をからかって受けているのが、ピコピコサウンドに乗って踊るピコ太郎さんの「ペンパイナッポーアッポ―ペン」。

 

言葉に両義あって、変移し、メビウスの輪のごとくに一つにつながるとは、そもそもシェイクスピアが繰り返し指摘していたところです。

 

私のブログには引用文を1623年出版のファーストフォリオ(第1二つ折本)から引いています。

 

当時はまだ正書法が確立していなくて綴りや句読点に多くの異形が見られました。

 

現代的な偏見や先入見を排して異形の原綴りを現代綴り化して、せりふの間と呼吸を、つまり句読点やカッコ()、ダッシュをどう校訂処理するかのテクスト編纂の問題には悩ましいものがあるのです。

 

シェイクスピアの指示であるか筆耕あるいは植字工の介入か、テクスト編纂者は、声、朗誦性、リズム感を伴って空間に舞うせりふにするために四苦八苦しただろうと推測はします。

 

ところが、異本が多いため、劇作家はほとんど「ト書き」を残さなかったにもかかわらず、付け加えられたり、特定場所に限定されて説明される加除訂正があったり、多用される句読点のために呼吸が乱される、一息に一気に語り聴かせるせりふになっていないのです。

 

幕・場割りにしても、場の連続を旨とする劇作家の意図は無視され、恣意的にすべて作品は5幕の幕割りになったりしています。

 

こんな事情ですから、どのようなテクストであっても意味の不確定性は免れようがなく、特定のコンテクスト(背景、状況、文脈、前後関係)で読まれて、テクストが孕む幻想や偏見、先入見が増幅され、再生産される結果となっている。

 

『リア王』などは『リア王物語』(The Historie of King Lear1608 年出版の第1四つ折本の単行本)と『リア王の悲劇』(The Tragedy of King Lear1623年出版の第1二つ折本)が並び立ち、作品の不確定性を際立たせて、一時私たちを不安がらせた時期がありました。

 

そうであっても、それ故にと言うべきでしょうか、そんなところにシェイクスピア劇のせりふのおもしろさ、つまり意味を宙吊りにし、境界を横断し、境界線を引き直して、意味の重層性、侵犯性が生まれるとみることができるのかもしれません。

 

シェイクスピアが本当に言いたかったのは何かと常に問い正すことだけは忘れてはならないことでしょう。

 

私たち自身の時代とシェイクスピアの時代のコンテクストに目配りしながらテクストを疑ってみることもときには必要。

 

王政復古による演劇の復活は役者と観客が同じ空間を共有するシェイクスピア劇の再生とはなりませんでした。

 

シェイクスピア劇は社会の中枢権力を握った中産階級のエンターテインメントとして再編成され、上演されなくなった演目などもあり、上演されてもオペラ化されたり、テクストに大幅な改変が施されたりして、時代の気分に合う形で命脈を保ったのです。

 

時代考証を忠実にエリザベス朝の衣装や装置が大掛かりに使われるようになり、その分テクストは大幅にカットされたり変更されたりしました。

 

シェイクスピア劇が観るものでなく読まれる古典という捉え方になったのもこのころです。

 

そうではあっても、シェイクスピア劇がどの時代においても普遍的であると同時に特殊、グローバルであると同時にローカルというように、時代を超越してそれぞれの時代にしかない方式で受容されてきたことは事実。

 

その要因は、多様な人間関係を愛憎の激しさの極地において描きながら、置かれた状況に抗って常に境界を侵犯して時代と社会の境い目を超えようとした劇作家としての強い意思が働いたからにほかなりません。

 

男と女、親と子、 王と臣下、人工と自然、貴族と民衆、貧者と富者といった二項対立的関係に制約された登場人物たちの関係は、人種やジェンダー、セクシュアリティー(多様な性的欲望のありよう)や年齢、経済的格差や文化的背景によって結び合わされ引き裂かれて状況を超える可能性を私たちに垣間見せてくれます。

 

こうしてシェイクスピアの思いは言葉に込められて時代を経るごとに拡散し連続して変化する色となった、七色の虹、つまりどこにも色の境はないけれども思いは7つの色に線引きされて紫、藍、青、緑、黄、橙、赤という7つの色になったのです。

 

人の身体を撫でて行くと外側だか内側だか分からなくなる、内耳とか外耳とか言ってもどこからどこまでが内耳でどこからどこまでが外耳なのか明確でなくなるが、切り取られた言葉はこの世に厳然と存在している、シェイクスピアの人間観も7つ色なのです。

 

いかにも違いがあり境界があるように切り取られてはいるが、つながっている、本来ずっと一続きに繋がっている、曖昧なところで線を引きながらそれぞれの人間を自立させているのです。

 

シェイクスピアはそんな曖昧模糊とした人間の発する言葉にこだわり、言葉に信頼を置き、言葉に裏切られ、言葉を否定し、言葉の海から出て言葉を超える存在になろうとしたのです。

 

その苦闘の痕跡をいま見るテクストに見い出そうとするならば、うちむらとしのりシェイクスピア朗読教室がなぜモダーン版でなく異形のままのファーストフォリオにこだわっているかお分かりいただけるでしょう。

 

 

 

うちむらとしのりシェイクスピア朗読                

http://shaks.jugem.jp

 

| - | 08:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728    
<< February 2017 >>
SPONSORED LINKS
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE